閉門即是深山 542
まだ、ひとり!
九月に入ったが、この日も猛暑だった。地下鉄の駅は涼しい。地上の地図を見ながら、何番出口が近いか探した。地図には見慣れた地名があった。とっくに忘れていた地名だった。左門町、於岩稲荷で有名である。歌舞伎や映画で「番町皿屋敷」を演じる俳優は、必ずここにお参りに行くと聞いたことがある。
地図には、新宿から四谷に行く大通りと、早稲田から信濃町に行く十文字が書かれてあるが、斜めなので首を斜めにしなければならない。大きな消防署、聞くところによれば、今では消防博物館があるそうだ。私が車を運転し買い物をしていたころ、その隣にスーパーがあったが、地図には画いていない。出口を決めた。消防署と反対側、左門町側を信濃町方向に歩くことにした。
地下鉄丸ノ内線四谷三丁目駅3b出口の階段を登ると灼熱の地獄が待っていた。明らかに反対側を歩いた方がいいに決まっている。あちら側は、陰なのだから。
左門町に入る細い道は、大通りが右に少し曲がった所にあったはずだ。なにせ60年前の記憶だ。そこには、74年前からの友達が住んでいたのだ。女子大付属の豊明幼稚園。男の子は、クラスごとにたったひとり。母親同士が仲が良かったせいかも知れないが、よく遊んだ女の子だった。卒園して私は男子校に入った。高校1年の頃再会をした。妹の家庭教師をやってくれと、母を介して話があったのだ。昔のことだから、色気もヘチマもない。ただ、私にとって唯一知ってる女性だった。
長い時が過ぎて行く間に逢うべき人たちには、逢えた。78歳になる私には、もう元気なままに人と会うチャンスは時間的に少ない。暑くても、もう住んでいるはずのない、私の記憶だけの危うい地図を頼りにその路を歩いた。まるでストーカーである。無かった。記憶違いかも知れないが、あの角の家は無い!大通りに戻り、向こう岸に渡った。文学座アトリエが今日行く目的の場所、私の仕事仲間が会社を辞めて文学座に入った。メールには「私が初めてプロデュースした作品『石を洗う』を観てください」とあった。予約をしたこの日が、クソ暑い日だった!後で、彼女に送った返信メールには「ブラボー!この何十年で観た芝居の中で一番面白かったゾ」と書いた。
信濃町駅の改札を入ると正面に喫茶店があった。ちゃんとした喫茶店である。「あの~ぅ、さっき居らっしゃいましたよね」白髪のおばさんである。どうも文学座のことらしい!「私ひとりでしょ、お芝居を観た時、そのお芝居の話をしたくなってしまいますのよ」周りは、ナンパだよ!78歳でナンパは、大谷翔平並みの快挙だぞ!とからかう。私は、何か損をした気になった。
この人じゃないんだよ!
私が会いたい人は… ね!