閉門即是深山 533
祖父・菊池寛の名言
家族の一員として“祖父の名言”なんて書くのも恥ずかしいことであるが、厚顔無恥と言われても乗りきってこの題で書いてみることにした。いくつもある。私が2009年に文化社から出版させて頂いた文庫版『菊池寛のあそび心』と重複はしているが、あちらは文庫。こちらは行数に限りがあるブログだから、まだ嫌というほどに名言らしき言葉を祖父は言っているわけだから、ほんの一部と思って頂きたい。
【1】人生は一局の将棋なり、指し直す能わず。
将棋、囲碁、麻雀、競馬と勝負事の好きな祖父だった。囲碁は、直木三十五が倒れ、病院に担ぎ込まれるまでふたりは夢中で打っていたという。
【2】不幸のほとんどは、金でかたづけられる。
幸せが金で買えるという嘘を書かないところが、私は好きだ!辛い幼少期を経て、あまり金に不自由しない時期があった祖父の言葉に重さを感じる。
【3】人間は生きている間に、充分仕事もし、充分生活もたのしんで置けば、安心して死なれるのではないかと思う。
私は、78歳になる。もし、あの世で祖父に逢えたら安心して死なれたか?と、訊いてみたい!
【4】約束は必ず守りたい、人間が約束を守らなくなると社会生活はできなくなるからだ。
この言葉に続きがある。「しかし、原稿の締め切りだけは守れない時がある」だ。クス!
【5】来世に希望をつなぐ信仰などよりも、現世をよく生きたということが、安心の種になるのではないかと思う。
表向きに書いたのだろうか?家訓には「ボクの代からは、うちは無宗教とするよ。だって、坊主に沢山の金を払うことはないもの」位牌は皆本名である。
【6】人生のどんな隅にも、どんなつまらなそうな境遇にも、やっぱり望みはあるのだ。
若者への応援歌なのだろうか、自分を振り返ってみたのか、普段の会話で彼は「死んだら、お終いだもの」が口癖だったと聞いたことがある。
【7】人への世話は、慰みとしてしたい。義務としては、したくない。
孫である私もこの言葉が好きだ!人は、その気が無くても裏切ることがある。世話を義務と思わなければ、その人を憎んだり、怒ったりしなくてすむ。
まだまだありますので、次回この続きを書きたいと思います!面白いと思われた方に“誌面の都合上”とありふれた口上を述べてPCを閉じます!