閉門即是深山 516
脊柱管狭窄症と菊池寛年譜
無理なタイトルをつけてしまった!別に年譜が狭窄症になったわけではない。
実は、私の小学校時代からの友人が「腰が痛てぃ!腰が痛てぃ!」と何年か前から騒いでいた。最近になって太ももの裏が痛い!と嘆いてもいた。彼とは、大学は別だったが、大学時代に中高の仲間を誘ってバンドを組んでいた。私がドラムで、彼がメインギターだった。それに、サイドギターとベース、キーボードで5人組、名前は、中高時代の軽音楽部のバンド名を黙って拝借したThe XL-5と付けた。ベンチャーズや加山雄三、ワイルドワンズが流行った頃であった。とにかく楽器が無い時代だから、持ってさえすればアルバイトに事欠かない。
さて、我々は、今年78歳になる。彼の言い分によると、この歳で重いギターを肩にかけ、いつも立ったままで演奏していたから、こんな羽目に陥ったと言うのだが、私は違うと思っている。彼は、この歳でどこに行くにも車を運転する。私もバンドで音合わせするときに、彼の家まで地下鉄で行き、新横浜のスタジオまで乗せて行ってもらうのだが、最近のニュースに出てくる“ブレーキとアクセルの間違い事故”を彼がおこすのではないかを心配している。私は、何年か前に愛車をひとにあげてしまった。若い頃から助手席に乗っていた連れ合いも、私の運転を怖がるようになり、息子からも運転をやめるよう言われていたので、車をあげてしまえば、心配させないで済む。免許証は、更新出来れば更新していくつもりだが、16歳から運転をし続けてきた私が、今やペーパードライバーになってしまった。しかし、今更事故を起こして他人を殺めたくない。免許だけは、男のプライドだけで持つようにした。
彼は、どこにでも車で出かけ、おまけに何人かで大型ヨットを持って、操船している。加齢と共に、少しずつ筋肉が衰えてきただろうし、操船も風に煽られる帆を上半身で操らねばならない。きっと、誤魔化し、誤魔化し無理に背骨を使っていた結果、脊柱管狭窄症になったのだと思う。激痛が走り、歩行困難になり、やっとMRIとか精密検査を受けたとメールで届いた。
結局、脊柱管狭窄症は、2か所、そして後一か所も危険状態にあると判明したらしい。手術は、背の骨を削り、ボルトを挿入する。彼が震える手でメールを打つ顔が見えるようだ。安全を見て3週間の入院とは、今時にしては大掛かりだと感じる。
術後は、1~2か月ごついコルセットを装着と書いてある。3週間も寝たきりだと、歩けなくなる程、歩行が困難になる。退院したら、Dr.MORITANI EMSで筋トレの手伝いをしてやろうと思う。
半年前に奥方と車を運転して77歳記念で四国を旅したらしい。私の祖父の菊池寛記念館に立ち寄った時、東京の私の実家の匂いがした。と、彼は言っていたのに!今年、記念館が大西良生氏著作の『菊池寛研究年譜』を出版した。菊池寛研究では、もっとも新しい年譜となる。興味のある方は、ぜひ手元にあると便利だと思う。私も「まえがき」を書いている!