点描画 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 473

点描画

ドラムを最初に始めたのが18歳の時。誰にも教えてもらえずに4年間自分たちのバンドで自己流に叩いていた。会社勤めをしていた頃も、友人の子供の結婚式などに頼まれて、慌てて集まり練習もしたし、漫画原作者牛次郎さんと牛ちゃんバンドを作ったりもした。そのバンドの歌手は、志茂田景樹さんで、彼は耳が悪いせいでほとんど聞こえないらしい!聞こえないから、音が全て外れる。あの色を付けた頭、外国の昔の絵に出てくる王子様のような衣装で歌うから、お客の喝采を得て、我々はテレビにも出た。

仕事もそろそろゆっくりと、と思う60歳の中ごろから、ドラムの先生について学ぶことにした。今年、始めてから10年は経つだろうか?一生の内、一番勤勉である。出来なくて、悔しくて、泣いたこともある。70何歳の男が出来なくて泣くのである。先生も慌てる!いや、もう涙腺が弱くなってね!と私は、誤魔化すのだが、実は、本当に悔しくて泣いたのである。
長い間、編集の仕事をしてきたが、仕事で泣いたことはない。子供のころ、自転車で転んで、赤チンだかオキシフルだか塗られて泣いたことはある。幼稚園のころに、滑り台の下に一寸釘が出ていて、私の頭に釘が刺さり、東大の分院で頭を縫う時に泣いたのは覚えている。

私は、涙脆いが、悔しくて泣いたことはなかった。特に仕事で泣くなんて考えてもみない。しかし、隣で先生が鮮やかな手並みでドラムを敲き「さぁ、やってみなさい」といわれて出来ないと、悔しさばかりでなく、情けなさも含めて涙が出てくる。先生は「初めて聞いて、この難しいフレーズを叩ける人はいませんよ」と慰めてくれるが、その慰めも悔しくなりもっと涙が出てきて、泣いてしまう。

それが、最近なくなった!
ドラムを敲くのが、楽しくてしようがなくなってきた。私の寿命が、後どのくらいあるかは判らないが、焦りもあり、楽しくもある。それは、ドラムの先生のひとことにあった。ある時から、譜面を渡され30分だけのレッスンの残り15分で正確に敲いた時に、先生が「点が判りましたね」か「点を悟りましたね」と言ったのがきっかけだった。

「点?」何のことだろう。その時には、意味が解らなかった。何日も、何日も、考え続けた。「点?」何なのだろうか。本当に先生は「点」と言ったのだろうか?聞き間違いかな?私は子供のころから耳が悪い。生まれてすぐに中耳炎になり、高熱が出て生死を彷徨ったのだから。そして、学生のころから大きな音を出す楽器やアンプの中で暮らしていたから!特に、ドラムで大切な“ベースの音をよく聴くこと”が出来ない。低い音が聞こえないでいる。「点かぁ!」呟きながら、「はっ」と思った。

音楽は、流れがある。むしろ線である。五線紙だって線だもの。他の楽器や歌は流れているが、ドラムは、叩く!確かに「点」なのだ!点を敲いて、線にするのだ!松本清張の世界とは、やや違うが、当たり前のことに気がつかなかった!ドラムが「点」であることが判れば、線にすればいいことだ!まるで、点描画を画くように、♪・・・と。