閉門即是深山 457
2022紫綬褒章
「今度、日本推理作家協会のゴルフ会が御殿場であるから君も参加しないか?」
私が20代前半のころから可愛がってもらっていた作家生島治郎さんから声をかけられた。故生島治郎さんも私の祖父が創設した文学賞、直木三十五賞を受賞されている。生島さんの受賞作『追いつめる』は、直木賞史上で初めてハードボイルド小説の受賞であった。ゴルフに誘われたころは、確か生島さんが日本推理作家協会の会長をしていた時だったと思う。
当日、確か西武系だったゴルフ場に私は早めに着いた。駐車場からクラブハウスには、階段を登らなければならない。トランクからゴルフバッグを取り出し、肩にかけ、片手には、着替えやボールを入れたバッグを持って、よっこらと階段を登った。クラブハウスのカウンターに受付を待つ列が出来ている。並んで、私の前の人の背を見た。生島さんだった。
「先生、お早うございます!」生島さんは、振り向いて「やっ、来てくれたんだね」あまり笑い顔を見せなかった生島さんが、私を見て嬉しそうだったのを覚えている。受付カウンターの横にロッカールームの入り口があったと思う。その時、私は35歳だった。今から41年前の話だから、思い出しながら書いている。ロッカーも生島さんと近かった。着替えながら生島さんが「着替え終わったら、上でコーヒーでも飲まないか?君に話があるんだよ」と言う。ほとんど同時に着替え終わった。
二階には、ラウンジと食堂があった。階段が、螺旋状になっていて壁には多くの名画が掛かっていた。バブルそのモノのような思い出だ。一緒に階段を登りながら「実はね、君に紹介したい若者がいるんだ。少し生意気なんだが、良い奴で、出始めだけど良い作家になると思うんだ!それで、君に頼むんだがね!彼の面倒を見てくれないか、一生の、ね」
この『一生の、ね』の意味はよくわからない!若者作家の歳は、25歳!私の10歳も若いのだ。出版社の編集者だってサラリーマンである。作家は、いい仕事さえすれば定年の無い世界だし、私が先にヨボヨボになるに決まっている。ただ私はその時、生島さんに「ハイ!」と言った。
スタートの時間になった。会長の生島さんは、一番のスタート!私は、後だった。プレーが終わってパーティーには少し間があった。生島さんとコーヒーを飲みながら雑談をしていた時に、若者がテーブルに向かって来た。カッコが良い!体格も良い!顔つきもハードボイルドだ!後で、生島さんに聞いた話だが、15歳の頃からその若者は生島さんのファンで、ファンレターを送っていた。手紙には「日本で私立探偵を主人公にしたハードボイルドは成立するか。海外では私と一人称で書いているが三人称で書いてもハードボイルドが成立すると思いますか」との質問状だった。「15歳だよ!」生島さんは、便箋8枚の長文の返事を書いて送った。生島さんは昔、ハヤカワミステリーの編集者だったのだ!
その若者は、私に大沢在昌ですと名乗った!大沢さん、何でここへ、来ました!電車です。なら、帰りボクの車で!
彼は『新宿鮫』で直木賞を受賞し、文学賞を総舐めにし、今年、紫綬褒章をお国から受けた!大したものだ!