閉門即是深山 442
3つの宣伝をします!
この日は、朝からの猛暑。私の歳になると、以前は五つ六つの仕事を1日で熟すことが出来たが、今やひとつ二つがやっとである。
月末のこの日、出来るだけ暑さを避けるために銀行に向かって早く家を出た。日本橋の地方銀行に出向かねばならない。祖父の郷里の四国の銀行は、日本橋高島屋のひと筋隣にある。東京支店、東京には、この1軒しかない。この銀行のATMも東京に1台あるだけである。もちろん、他の銀行のATMなど流用出来るが手数料も結構取られる。月末は自分の住むマンション等の固定資産税を払い込まねばならないし、多摩霊園の菊池寛の広い墓の費用も振込が必要である。
では、なぜに私にとってそんな不便な銀行と取引するようになったかと言えば、年齢のせいだった。60代半ばで中野にあった一軒家を売り、年寄でも住みやすいマンションに引っ越すことにした。本当は、長男の死が一番の動機だったが!そこで中野の家を見積もってもらったが、バブルが崩壊してからは、マンションを手に入れる金額に程遠かった。お金を借りなければならない。その時は、マンションの売り手も家の買い手も決まっていた。出版社勤務をしていた頃のメインバンクは、大手銀行だったが、借金を頼むとけんもほろろに断られた。亡くなった父の仕事上の銀行にも、あの愛想が嘘だったように断られた。ひとつは、土地バブルが弾けた為に土地建物の担保が効かなくなったせいだろう。もうひとつは、私の年齢だった。よくは知らないが、60代半ばからは、いつ死ぬか判らないから個人取引をしたくない!当然10年で借りても、返済が済むまでこの客が生きているか否か判定が出来ないからだと思う。もちろん、借りる段になれば生命保険もセットされるが、借主の返済が済むまで生きていないと相続等で銀行も厄介を背負わなければならない。そんなの嫌に決まっている。
仲の良い不動産業の人が良いアイデアを耳打ちしてくれた。祖父の菊池寛は、未だに四国高松では著名人。そこの銀行に頼んでみては?ずばり的中だった。もう返済は終わったが、そこまでしてくれた四国拠点の銀行を足蹴に出来ない。そこで、私のメインの出し入れが始まったのだ。それに、今後もしもの時、あんなに焦ることのないように付き合っていくつもりである。
銀行の傍に昭和を彷彿とさせる喫茶店があるのも嬉しい。水分供給と休憩をとって、ドラムの練習のために予約をしている江戸川橋のスタジオに入った。3時間休憩無しに練習をして、森谷先生が来られている赤坂のオフィスで『筋電メディカルEMS』の出来栄えを確かめる。強い刺激!腹が急に引っ込んだ錯覚を持ちながら、家のドアを開けた。
上り口に本が山積みされている。見ると家人のペンネーム菊池未生著『想い出が遠くに消えないうちに』と題名が見えた。知らない間に、新しい本を出版したらしい。『癒しのラブソング』『天国へ届けたいあなたへのメッセージ』『70歳になってわかること』。今回で4冊目になる。
「あとがき」には「思い出は時間と共に遠くへ消えてしまいそうで、今回のような形で記憶に留める事にいたしました」と書かれていた。そっと読んでみると面白い随筆集だった!Amazonで買えますよ!900円+税です。