菊池寛の世界 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 419

菊池寛の世界

ちょうど今、このブログを書こうとパソコンの前に座ったときに私のスマホが受信していた。耳が遠くなってきた私は、受信音を大きくしてしまう。よって働いている人たちに邪魔になるからマナーモードにしておく。机の上に置いておくとスマホが震えるのでわかるはずだが、気がつくのが遅くなってしまった。電話は、出る前に切れてしまった。画面を見ると公益法人日本近代文学館とある。慌ててこちらから電話を折り返した。

先方の話によると川端康成先生の展示を今年することになったとのこと。川端先生は、私が結婚する際にもお祝辞を頂いた。生前の知り合いである。担当の方が言うには、川端家からお預かりした資料の中に祖父菊池寛から川端康成先生宛の葉書があるらしい。消印は、昭和11年と判るが日付が見えない。文面は、文藝春秋創刊にあたっての原稿の催促のようだ。初公開の葉書なのでオープンにしていいか否かの問い合わせだった。

やはり日本近代文学館ともなれば大したものだ!今は知識財産保護法という名がついたが、菊池寛から出した手紙は、受け取った川端家には所有権があるが、著作権は菊池寛の著作権継承者の管理の下にある。ゆえに報道以外は、著作権継承者の許可が必要になる。これを知らない人が多い。自分に来た手紙だから、どこでも発表できると勘違いしていることが多い。ついでに言えば、写真に写された顔にPR権というモノがある。以前は、テレビ番組などで座談会など、その場に出て居ない人の話になると画面の端に当人の顔写真などを載せていたが、最近は絵になっている。

今年の『文藝春秋』1月号、昨年の12月発売号は「創刊100周年記念号」と謳った。100年前、祖父が創刊した『文藝春秋』は、薄っぺらな頼りない雑誌ではあった。たった28頁、1部10銭の小冊子。「ポケットマネーの二百圓位はどうにでもなるからね。それで出すんだ。牙城といふ題はどうだらう。君、君、いかんかね。」作家の佐々木味津三に祖父は言った。同人は、佐々木氏の仲間たちに川端康成、今東光等の『新思潮』の同人、横光利一などの友軍たちで、皆『牙城』には反対し、菊池寛がその頃に出した『文藝春秋』という題の著書名がよいと言い、小冊子の名が『文藝春秋』となった。

大正12年『文藝春秋1月号・創刊号』、大正11年12月発売号の表紙は、右から『秋春藝文』とあり「號刊創月一」とある。そして、その下に著者と作品名が書かれていた。
菊池寛の「創刊の辭」に続き、芥川龍之介の「侏儒の言葉」、菊池寛「新創の力量」、川端康成「林金花の憂鬱」、横光利一の「時代は放蕩する」と続く。直木三十五(当時、直木三十二)も「路上砂語」を書いた。創刊号の部数3000部は完売となり、2月号は4000部、3月号は6000部、4月号は10000部になったという。