先輩も、同期も、後輩も、 | 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 415

先輩も、同期も、後輩も、

播磨屋~!

大向こうから声を出すように、私は海にむかって叫んだ!定紋だった揚羽蝶が滲んで見えた。

私が小学校に入学した時には、萬之助兄さんは小学3年生だった。その時、5年生だったのが、萬之助さんの実の兄染五郎さんだった。
私のクラスには、男の前厄の40歳で没した尾上辰之助がいた。クラスは、各学年二組だから小学校全体でも生徒は少ない。全校600人弱だったような気がする。染五郎さん(現・松本白鸚)は、ずっと年上に見えたし、鼻もひっかけてもらえなかった。弟の萬之助さんには、可愛がってもらった!私が中学に進学した頃に、小学校の一年坊主として勘九郎ちゃん(十八代目中村勘三郎)が入ってきた。歌舞伎役者の多い学校だった。

『勧進帳』や『義経千本桜』など十八番だった二代目中村吉右衛門が逝ったとテレビの臨時ニュースでテロップが流れた時には、さすが「まさか!」と思ったのだ。長いこと会っていない。藤間亨(尾上辰之助)が急死した時、私は従妹の通夜の席にいた。叔母が、今日はマルコの傍にずっといてやってね、と言われ「うん」と答えた矢先だった。辰之助が死んだという一報が入ってきた。次に社の編集部の同期からも情報が入った。「辰之助の家に行くんだろ?その前にちょっと社に顔を出してくれよ!」辰之助が親友だったことは、誰にも話していない!さすが週刊文春の編集部だ、目の先に私がいたことに驚いたに違いない。
社に寄ると同期の男がそっと小型カメラを私の手に持たせた。そして、ただ「頼む!」と言う。叔母との約束を反故にして、通夜でもないのに悲しみに集まる家族の中に親友だと言っても入っていくのも真に非常識なのに、写真など撮れるものではない!カメラをポケットに入れ、私は社の前の坂を下って亨の家のインターホーンを押した。顔馴染みのマネージャーが格子戸を開けてくれた。
「こんな時にゴメン!」頭の中が真っ白になっていた私は、妙なことでも言ったのではないだろうか?マネージャーは、この間の夜も一緒にお話しされていたのにねぇ、さっ、お顔を見てあげてください!2階の部屋で白い着物を着せられた亨が横たわっていた。周りには、親族の役者衆で囲まれていた。染五郎さんは松本幸四郎になり、菊之助さんは、菊五郎になっていた。私は、輪の外にいた。吉右衛門さんが気づいてくれた。
「よく来てくれたな、まず亨の顔を見てやってくれ!」優しい言葉だった。白い布が外された、そこには尾上辰之助眠っていた。吉右衛門兄さんの小さな声が耳元で「カメラ持ってるんだろ?」上着のポケットを指さして「撮れよ」と言う。「撮れません!」と答えた。吉右衛門兄さんは、最期まで優しかった。

私は、池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』の担当をしていた。ちょっと相談があると言われ池波邸に駆け付けた。「松本幸四郎が死んだだろ、次の鬼平を吉右衛門でどうだ、と言われているんだが、どうだろう」「幸四郎さんと確かにお顔は違いますが、いい鬼平が出来るような気がしますけど」私は答えた。

二代目中村吉右衛門は、2000年に第48回菊池寛賞を受賞、因みに2011年人間国宝になっている。57歳で逝った第十八代中村勘三郎は、第52回菊池寛賞の受賞者になった。
今、これから第69回菊池寛賞の贈呈式に行ってくる。作家の小川洋子さん、俳優の仲代達也さん、高知新聞(追跡・白いダイヤ取材班)、『ハムレット』の翻訳者松岡和子さん、アジアの貧困地域で25年以上無償医療支援を行っている吉岡秀人さん、新しいオークラ東京の会場に急がねば!