閉門即是深山 403
アンソロジー昭和
私が生まれたのが昭和21年、それから平成、令和と年号が変わった。まさか私が生きているうちに年号が2度も変わるなんて思ってもいなかった。
最近耳に入ってくるのだが、今、昭和ブームらしい。黒のダイヤル式電話機、木製で内側にブリキ板が貼られて中に入れた氷が解けないようにした冷蔵庫、SP盤の蓄音機、無骨なガス台と木製蓋をのせたお釜(初めちょろちょろ、中パッパッ、赤子泣いても蓋とるな!と飯炊きを教わった)。
本物の小さなタイルで覆われた浴室に、特大のわっぱ飯の弁当箱形の風呂桶(煙突の脇に上がり湯の蓋が左右にあって、入る時、出る時に身体に掛け流す湯が入っている)、黒くて、重くて、厳つくて、お盆を鉄で編んだような後ろ席のある自転車。
パッカードやクライスラー、ビュイックなどのアメ車の写真、木製の緑のフェールトをクッションにした椅子と机のあるオフィス、ぺなぺなな錫か何かで出来た電球カバーが付いて蛇腹のように曲がる電気スタンド、夜中コッチコッチと鳴り「祝・菊池商店さん江」と書かれた柱時計、結婚式の引き出物として貰った江戸切子の角が欠けて便所の灰皿と化した皿。
ブリキで出来たアメ車の玩具、エボナイトのレコード盤、正露丸の匂いのする茶箪笥、傘から考案されたと思われる蝿帳、子供たちがその上で泳いだりした蚊帳、ひびの入った万年筆と大理石調のインク壺の脇に置かれたスポイド、ドリフが頭に落とした大きな洗濯タライと洗濯板と亀の子石鹸、今では日本旅館にしか置いていない煙草盆とパイプの絵が貼られたマッチ、光、ピース、ふたば等の名の付いた煙草、爺さんからもらったと言って後生大事に父が持っている銀の煙草入れ、誰も開いた事の無い何十冊かの百科事典、どこから出て来たのか判らない緑青の涌い丸眼鏡の老眼鏡、炊けたご飯を移し替えるお櫃と冷めないための藁で編んだお櫃カバー、「あっ醤油がなかった!お隣さんから借りてきて!」と言う母の声、父の居ぬ間にパンツだけになり相撲の褌として巻いた父ご自慢の絞りの入った兵児帯、正月に新しい下駄や箸を降ろしてくれる母の手、「井戸にスイカ冷やしといたからな、縄でぶら下げておいたから割らないように気をつけて、子供たちで食え!」と言うたまに来る叔父さんのだみ声、スピードの出ないバスの後ろを駆けて行き、思い切り吸った排気ガスの匂い!母さんを待つ表通りで座る車道と歩道を分ける鎖、夕日が沈むころ「何々ちゃ~ん、ご飯ヨ~ぉ!」と言う知らない小母さんの声、私はアメ横でやっと買ってもらったGパンと冬用のコールテンのズボン、後は制服で過ごしていた。今、外人たちは日本の昭和好んでいるらしいし、若者も昭和に興味があるらしい。何もなかった!だから人の優しさだけが記憶に残っている。以前漫画家の本宮ひろ志さんに「世界がひとつになったら日本の役目はなんでしょうかねぇ」と訊いたことがある。彼は少し考えた後「そうだねぇ、アメリカは世界の工場、日本は“故郷”かも知れないねぇ」と言った。
そう、日本は世界の“故郷になる”のがもっともふさわしい国かもしれない!「○○さ~ん △△さんから電話よ!」いつもすいませんお借りします!何軒かに一台しか電話が無かった時代が昭和だが