閉門即是深山 394
ルール厳守を!
私は、信州の山奥に小さな山小屋を持っていたことがある。
山奥だから、道が細い。よく観るテレビの一軒家番組のように道は荒れている。右は杉林というか杉山で常に嵐の通った後のように倒木が重なり合う。左手は、崖で沢の音が聞こえる。
あの番組を観ると、その家を思い出す。子供たちが小さいころには、よく使っていた。義母や義父が生きていたころは、よく手入れをしてくれた。今では直木賞や有名な文学賞を総なめにした私の弟のような存在である作家が若い時に、彼の友人とともに痩せるためと称しては、その山小屋に籠っていた。
麓だから、50CCのバイクでは登れないような急坂だったから、いい運動になったに違いない!山小屋は斜面に建てられていた。斜面の上には水が涌き、山小屋の水は、冷たく、美味かった!風呂も温泉のように肌に染みた。リスが木に登る。ムササビが木から木に飛び交う。
家が小さいだけにベランダを大きく取った。私は、その当時、もっとも忙しかった。金曜の夜仕事を終えて車に乗り込み、日曜の朝東京の家から出勤する。これが夏場、毎週続いた。父と母が買った土地に、私が山小屋を立てた。あまり父母が山小屋に来た覚えがない。
その山小屋の下に多くの別荘が建つようになった。水源のあの美味しい水では賄いきれなくなり、町の水道管から水を引いた。管理組合が出来た。そして、管理会社と契約を結んだ。そのころに山小屋の水道用のポンプが壊れた。
義父や義母。父や母、長男がみな逝った。誰も行かなくなった山小屋が残った。ある日、恐々私だけが立ち寄ってみた。道は苔むしタイヤが滑る。山小屋は見えなかった。よ~く見れば見えるのだが、山に溶け込んでいる。
小屋は、山に戻っている。子供達が東京に帰る私に手を振って見送ってくれたベランダが崩れている。我々夫婦が悪戯に買ったテニスのラケットや、子供達が書いた“らくやき”の皿は、どこに行ってしまったのだろう。
「お母さん、僕の麦わら帽子はどこにいってしまったんでしょう」と始まる小説を読んだ覚えがある。正しいか否かは覚えていないが!たしか、この山小屋の先がその舞台だったはずだ。
「親父、親父が元気なうちにいらないモノを全て処分しておいてくれよ!」次男に言われた。バブルがはじけて小屋など求める人がいなくなった。それから何年かして、殊勝な人が現れた。友人が近くに家を建てたから、ぜひ売ってくれという。山奥だからお金と言っても何ボにもならない。かえって管理組合に払わねばならない滞納金でチャラになった。
このコロナ禍で東京から別荘に逃げた人たちも居よう。自分の家だもの良いはずだし、自家用車だから良いはずだと嘯く姿が想像できる。しかし、緊急宣言を良く読んでほしい!県を跨ぐのは辞めてほしいと書いてある。それには、医療関係者が知恵を絞った“理”がある。国からのお願いは、ルールである。オリンピック・パラリンピックのようにルールを守って金、銀、銅だ!少しの間だけでも、ルールを守れない大人でどうする!
と、憂れうのは後期高齢者になった証なのだろうか!