歯| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

閉門即是深山 390

私の祖父・菊池寛は、59歳で亡くなっているが、もうその前から総入れ歯だった。

酒類を一滴も飲めなかった祖父は、好んでサイダーやお茶を飲んでいたらしい。夕食は、編集者や作家たちと摂ることが多かったようだが、講演出張や地方競馬に行くことを除けば、遅くても輪タクに乗って夜中でも帰宅した。

輪タクは、今で言えば浅草や京都嵐山などで見かける人力車のタクシーのことである。祖父のことだから車夫にたんまりとチップをはずんだに違いない。私が幼稚園に通うころ、母とどこかへ行った帰りに最寄り駅である目白で国電を降りた。国電のことは、父は省線とよんでいた。今のJRである。

私の生きた時代にJRは、3回も名を変えたことになる。目白駅に降りた母は、私の手をひき「たまには人力でも乗って帰ろうか」と言った。いつもだったら2ドアのリアエンジンのルノーに乗って帰るのに、私の心は弾んだ。それは、タクシーとともに普通に人力が人待ちをしていたのを知っていたからであった。

今は、観光用にあるが私の子供のころは、実用であった。駅から2キロくらいの道のり。私が覚えているタクシーは、初乗りが60円、前だけにドアがあり客は助手席の椅子を倒して後部座席に座る。少し大きなタクシーに使われていたのは、ステップのついたシュトロエンだった。国産の自動車などほとんど見かけない時代である。

目白駅で拾った人力車の車夫は、そうとうな爺様であった。母の隣に私を担ぎ上げ、赤い毛氈をふたりの膝に掛けてくれた。構造的に言えば、乗った客は、前のめりになるが、神輿を置く台のようなものが引き棒の下に置かれているので、席にゆったりと座れる。

「どちらまで?」車夫は、母に聞く。「まっすぐに行って、千登勢橋を渡ってちょうだい!その先を音羽の方じゃなくて、護国寺の方に左に曲がって、郵便局の先にある傘屋さんのとこを左に、すぐ」「ははん、菊池寛先生のお宅ですね、と言うことは、このお坊ちゃん、先生のお孫さん?」「そうよ」

「いえね、私はよく先生をお乗せしたんですよ、銀座あたりで付け待ちして先生がお帰りのころを狙いましてね、先生のご機嫌斜めの時はダンマリですが、ご機嫌な時は、昔話しをしてくださって、面白う御座んした、あっしみたいな無学は、本てなものは読みませんが、先生の想い出話しには有名人が多くて、歌舞伎役者さんやら活動の女優さんやら、いやいけねぇ、ご家族に女優さんとシッポリなんてな話をしたら、先生に叱られちゃう。芥川龍之介先生やら直木先生、室生犀星先生とのお話なんぞ、面白いこと、面白いこと、車夫冥利てなもんだった!へぃ、着きました!そうですか、こんなに頂いちゃって」

懐かしい会話を今思い出しました。そうそう、歯の話でした。祖父は、総入れ歯で夜中に家に帰ると、まずもう冷えてしまったお茶の入った湯飲みに入れ歯を入れて寝ます。なにせ朝起きるのが早い。どんな時でも4時半には床を出て、原稿を書きだす。遠方の銀座から寝込みを襲う新聞社や出版社のひとのために1枚でもと書く、午後からは社長を務める文藝春秋の仕事がある。よく入れ歯入りの茶をすすっていたらしいんです。祖父の子供達、伯母も叔母も父も総入れ歯でした。私も今歯科医から帰ってきたばかりです!