閉門即是深山 361
文春文庫 き 4 7
文藝春秋から本が2冊送られてきた。同じ文庫である。表紙には、強いインパクトで菊池寛の似顔絵が書かれている。お気付きの方もいらっしゃるかもしれないが、ブログのサブタイトルの「き 4 7」は、文春文庫の番号である。
本当のタイトルは、『マスク 菊池寛』とある。最近コロナの話が多く、この雑記菊池寛著『マスク』も新聞やラジオで取り上げられていたし、このブログでも書いてきた。それが、100年ぶりに、また陽の目を見ることになった。定価620円+税である。まるで最近テレビ番組でもよく見かける宣伝告知のように私は、書いている。
表紙には「スペイン風邪をめぐる小説集」とか「私も、新型ウイルスは怖い。」と、祖父の似顔絵のマスクの上に書かれている。し、小さくて見えにくいかも知れないが「マスク チェック、うがい チェック、外出せず チェック」の脇に「文豪だって感染対策!」と、書かれているのが面白い!
とにかく編集者が面白がって作っているのが判る。大きな文字で「解説 辻仁成」ともある。
書店で探される方の為にもう少し書いておけば、茶系とグリーンに黒で菊池寛のマスクを付けている画が書かれている。帯裏には「100年前の日本人は、疫病とどう戦ったのか?」と書かれていて、本文に『見かけは頑健に思われているが、実は心臓も肺も、胃腸も弱い。そんな自分に医者は「流行性感冒にかかったら、助かりっこありません」と言う。だから、徹底的に感染予防に努めた。でも暖かくなったある晴れた日に、黒いマスクの男を見かけて──。』と、ある。
表紙には書かれていないが、この年祖父・菊池寛は32歳だった。結局、私が産まれて2年も経たない昭和23年3月6日に狭心症で逝ったのが、59歳だった。帯には、まだ文字が並ぶ、「菊池寛が実体験をもとに綴った短編小説『マスク』など、9編を収録。」とある。
まるで、本の宣伝を書いているような気持ちを私は、いま持っている。表紙裏に著者紹介がある。菊池寛(きくち・かん)→実は「ひろし」が正しいのだが、皆が「かん」と読むので「まっ、いいか!」としたらしい。明治21(1888)年、香川県高松市に生まれる。本名は寛(ひろし)。→「ヒ・ロ・シです」。一高中退後、大正2年(1913)年、京都帝大英文科に入学。第三次、第四次『新思潮』に参加、文壇にデビューする。『父帰る』『忠直卿行状記』『恩讐の彼方に』『藤十郎の恋』など戯曲、小説の名作を次々と発表。大正12年には『文藝春秋』を創刊した。昭和10年(1935)年、芥川賞、直木賞を創設し、後進の育成にも努力を惜しまなかった。11年、文藝家協会初代会長になる。23年、狭心症にて59歳で急逝。」と書かれている。
編集者も書きながら面痒くなったのではないだろうか?自分の会社の創業者の紹介は、私だったらこっぱ恥ずかしい!何枚か菊池寛の写真が掲載されている。黒いマスクをしている写真もある。
宣伝のついでに目次も書く『マスク』『神の如く弱し』『簡単な死去』『船医の立場』『身投げ救助業』『島原心中』『忠直卿行状記』『仇討禁止令』『私の日常道徳』の9編と解説「百年の黙示」辻 仁成 と、書かれている。作品ひとつひとつについて私も書きたいのだが、頁のことを考えて割愛した。しかし、編集者の上手い選択に感心する。