第163回(2020年上半期)芥川龍之介賞| 閉門即是深山(菊池夏樹) | honya.jp

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第163回(2020年上半期)
芥川龍之介賞

そういえば、今日だったけ、な?いや、来週だったっけ!慌てて日本文学振興会からの招待状を探した。芥川賞・直木賞の受賞式がある。例年だと、受賞式の後に授賞者を囲んで、盛大な立食パーティーがある。招待客は、1000人くらいのパーティーになる。

今年の芥川賞は、面白かった。まず、候補者候補作品はこの5作品。

 石原燃氏    「赤い砂を蹴る」(文学界6月号)
 岡本学氏    「アウア エイジ」 (群像2月号)
 高山羽根子氏  「首里の馬」(新潮3月号)
 遠野遥氏    「破局」 (文藝夏季号)
 三木三奈氏   「アキちゃん」 (文学界5月号)

高山羽根子さん以外は、全員初候補だった。

芥川賞は、賞が始まった時から新人賞で、今もそのスタンスは変えていない。面白かったのは、候補者の石原燃さんが芥川賞候補になったことである。石原さんは、太宰治の娘島津佑子の娘である。ゆえに太宰の孫にあたる。太宰治と芥川賞には、深い、深い因縁があるのだ。

文学賞の元祖と言われる芥川賞・直木賞が制定されたのは、昭和10年(1935年)だった。祖父・菊池寛の若い時代は、作家になる登竜門は無く、有名作家、その当時は夏目漱石等に気に入られなければ、茨の道を歩かねばならなかった。祖父は、文才があり、一般文学志望者のために純文学に芥川賞、大衆文学(エンターテイメント)のために直木賞を創った。もともと両賞ともに新人賞であった。はからずもこの賞が制定された直後だった。芥川龍之介を信奉していた太宰治が、芥川の名を冠した芥川賞の第一回目が欲しかったようだが、不運にも受賞出来なかった。候補作『逆行』が落選になった太宰は、いきなり選考委員だった川端康成の選評に噛みついた。

 あなたは文藝春秋九月号に私への悪口を書いて居られる。「前略。─なるほど、道化の華の方が作者の生活や文学観を一杯に盛つてゐるが、私見によれば、作者目下の生活に厭な雲ありて、才能の素直に発せざる憾みあつた。」/おたがひに下手な嘘はつかないことにしよう。私はあなたの文章を本屋の店頭で読み、たいへん不愉快であつた。これでみると、まるであなたひとり、芥川賞をきめたやうに思はれます。これは、あなたの文章ではない。きつと誰かに書かされた文章にちがひない。(略)私は憤怒に燃えた。幾夜も寝苦しい思ひをした。/小鳥を飼ひ、舞踏を見るのがそんな立派な生活なのか。刺す。さうも思つた。

 その後、太宰は、選考委員佐藤春夫に「第二回の芥川賞は私に下さいまするやう伏して懇願申しあげます……御恩は忘却しませぬ」と書いたが、第二回は候補にも選ばれなかった。結局、太宰治は芥川賞を授賞できなかった。
私が面白いと書いたのは、、第163回の芥川賞は太宰治の孫の祖父に代わっての「意趣返し」と思えたからだった。