閉門即是深山 336
親切な若者
各県の新型コロナウイルスのための緊急宣言が解除になった、その日だった。東京や大阪は、まだ自粛せよ!命令は、解除されていない!
私は、学生時代、軽音楽で明け暮れていた。昭和40年頃の話である。以前にも書いたような気もするが、まだ当時楽器を持つ者が少なかった。売っている場所も少なく、あっても高価だった。ガットギターやヴァイオリン、ピアノは、高価なものだったが、白金などに住むお嬢様などが習い、弾いていたのを小説や映画で知っていた。時代的には、ちょっとその後である。
世の中の多くは、貧乏だったが、我々がバンドを組むころは、高度成長が始まった瞬間だった。楽器さえ持っていれば、アルバイトで良い金になった。毎月ではないにしろ、ある月、例えば、真夏のビアーガーデン、春や秋の大学各部の資金集めのダンスパーティー、クリスマスパーティーのような時には、家庭教師のバイトの比ではなかった。あのころ家庭教師のバイトを高校の先生に頼まれて、したことがあったが、月に1000円か2000円だった気がする。会社の初任給が、1万円代だった頃だ。
5人でバンドを組んだ。どのバイトも楽器持参である。私は、ドラムを担当した。エレキギターが2人、エレキベースが1人。それぞれにアンプが必要だった。アンプもまだ、真空管の時代である。後は、可愛い女の子の歌手がいれば良かった。ワンステージ1万円で、2回行った。それにカラオケの無い時代だから、ビアガーデンなどでは、お客に歌わせた。1曲でも酔った客は、大枚を置いていった。山分けである。
今は、売れないプロが多く、そんな旨い話は無いだろう。
その後、私は、勤めたのだが、初任給の安さに驚いたものだった。現役を退いた今、7年前から1から先生についてドラムを教えてもらっている。別に週に2度自己練習もしている、バンドに入って丸7年が経つ。そして、自粛になった。先生も長期のお休み。バンドで練習をしたくとも、練習スタジオがやっていない!3密もある。もちろんライブハウスは、悪の権化のように言われている。個々に練習を家でしていると聞くが、ドラムは、そうはいかない。運良く、私の使わせてもらっている自己練習用のスタジオは、商売では無い。また、広さもビッグバンド用に出来ているから、20人以上で演奏できる。そこを独り占めにしている。だが、稽古とは別に、何人かで演奏したい。
最近よくテレビで見かけるネット上で集まろうよ!各々のパーツを動画に入れて集めて、1曲やろう!ピアノ担当からLINEがあった。やってみたかった。彼は今、後輩のピアノのプロにJAZZを教えてもらっているという。私も基礎編が終わって、専科でJAZZをやっている。これなら2人でも出来るし、仲間が入って来てもいい!スタジオで曲をヘッドフォンで聞きながら、スマホで動画にした。ところが、重すぎて送れないのだ。訊きながら、いろんな方法で試したが駄目だった。諦めた!ところが、いつもかならず行く喫茶店溜池山王のNEWSEMに最近見かける若者がいた。恥ずかしながらと、悩みを伝えたら、いとも簡単に送ってくれた。重いですからね、スマホじゃ難しいですよね!と言ったが、彼の仕事がITの関係だったらしい。自分では出来ないが、嬉しい!