NewYorkからの手紙 | honya.jp

閉門即是深山 287

NewYorkからの手紙

ニューヨークから手紙が届いた。
本来手紙にも知財法権が適用される。著作権のことだ。私は、手紙を頂いたわけであるから、この手紙の所有者で所有権者である。著作権は、あくまでもこの手紙を書いたひとであるから、私にはない。著作権は、永久権だからこの場で許可無く披露することは出来ない。もちろん手紙を写真に撮って、公表することも知財法では、許されない。でも、私の赤子の時分のことを書いてあるし、その頃のことなど私の記憶にあるわけはないので、自分自身の史料として、私が要約して書かせて頂く。

その手紙を書いて下さった主には、文藝春秋総務部担当の社員から紹介してもらって、昨年6月中旬ころ一度だけお目にかかった。彼女は、戦中に東京女子大学に通い、その頃、祖父・菊池寛の秘書的役割をしてくれた方だった。雑司ヶ谷で祖父・菊池寛の終の住まいになった家で在学中から祖父が亡くなるまで、毎日午前中祖父の仕事を手伝ってくれた。

彼女の手紙には「その折は大広間のBaby Circleの中で遊んでいらっしゃった赤ちゃんが、と」このベビーサークルの中で遊んでいた可愛いい赤ちゃんとは、私のことだ。たぶん、71~72年くらい前のことだと想像する。彼女の年齢は、逆算しても90歳前後だろうか。

手紙によると、昭和19年に始めて私の祖父に挨拶に行った時(手紙には「出勤した時」と書いてある)はお母様とご一緒だったそうだ。玄関わきの応接間のひとつで祖父夫妻と話したそうだ。大正時代は、祖母は人と会わないので有名だった。芥川龍之介も直木三十五も久米正雄も、そう雑記には書いてある。誰だったろうか、芥川か久米の随筆だったと思うが「菊池ひろしが、結婚したという。一度、嫁さんの顔を拝もうと何人かで菊池の家に押しかけた。菊池を入れて雑談をしていた時、襖がほんの僅か開いて、お盆にのせた茶がその隙間からそっと出てきた。結局、顔を拝むどころか、やっと手の先を見ただけであった」こんな感じで書かれていた。そのころの人たちは、祖母の顔をほとんど見ていない。祖母が人嫌いのせいもあっただろうが、祖父と同じ高松の出身でお姫様のように育てられた。田舎者と思われたくなかったのだろう。

こんなエピソードが残っている。ある日、作家の奥様同士が懇親を深めるために帝国ホテルのレストランで、食事をとることになった。出て来たのがグリーンのアスパラガス。祖母は、全部平らげたらしい。ところが、他の奥様方の皿を見ると、硬い部分を皆が残していた。その頃の作家のご夫人たちは、粋筋の出身が多かった。食べ方を知っていたのだ。祖母は、家に帰ると「もう嫌だ!あんなに恥をかいて!これからは、絶対に出ない!」と言ったそうだ。それからは、祖父が仲人になった結婚式にも出なかった。しかたなく、祖父は、他の人の奥様を借りて出席したらしい。90歳になる彼女の手紙を見て、祖母の一面を見た気がした。

 


追伸・読者の皆様へのお知らせ

■ラジオ番組
私の祖父・菊池寛の著作『満鉄外史』(原書房刊)がNHKラジオ第2で全40回にわたって朗読されます。タイトルは、朗読「菊池寛~満鉄外史~」です。放送日及び再放送日、番組ホームページ(NHKラジオ第2文化番組)でも聞けます。日時を列挙いたします。お時間のある方は是非に!

放送日:6月3日(月)~7月26日(金)
午前9時45分~10時の15分間
再放送:6月8日(土)~毎週土曜日
午後9時45分~11時(月~金一挙放送)
NHKラジオ第2 文化番組ホームページ
https://www4.nhk.or.jp/roudoku/

 

■講演会
令和元年 7月27日(土曜日)午前11時より
場所:高松市菊池寛記念館ホール
香川県高松市昭和町1-2-20 サンクリスタル3F
お問い合わせ:高松市菊池寛記念館
電話 087-861-4502
詳細は、高松市菊池寛記念館ホームページにて
http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kurashi/kosodate/bunka/kikuchikan/index.html