閉門即是深山 270
文藝もず
『文藝もず』。この雑誌は、高松市菊池寛記念館が毎年一度6月に発行するもので、220頁以上の厚みがあるから小冊子とは呼べない。やはり雑誌である。
私がこの雑誌の編集部から初めて「祖父・菊池寛にまつわる話」のご依頼を受けたのが『文藝もず』10号からだった。2月の始めに書き上げた原稿は20号目の掲載分だから、11年の間書き続けてきたことになる。
年に一度くらい何とも無いじゃん!と、言われるかも知れないが、これがなかなか大変な作業なのだ。原稿枚数は、四〇〇字詰原稿用紙で15枚程度だが、読んでいる人たちの多くが菊池寛の知識を持つ高松の市民だからだ。特に、高松の学校の先生、大学の文学部の教授、香川県の菊池寛研究者、菊池寛顕彰会の方々、大きく言えば、日本中の菊池寛の研究者が読んでいると聞く。ある時、菊池寛文学に惚れ込んだ外国の研究者も読んでいると聞いて、ひっくり返った。
私の性分は、実にいい加減である。「いい塩梅とか、いい加減とか、適当とかは、今でこそ悪い意味に使われているけど、本当は、良い言葉なんだよ!塩の加減が良くて美味しいね!とか良い湯加減だね!とか、良く当てはまる!とかの意味なんだよ。字を見たって、そう書いてあるだろ?だから、僕の性分は、いい加減で、適当で」なんて誤魔化しは効かない。なんせ、私しゃ、孫かも知れんが、研究者でも文学部の教授でもないんだからね、頼んだ方が悪いんだよ!頼んだ方が!俺の責任じゃねぇゾ!とも言えない。
実を言うと、今年の6月分の原稿は、まだご依頼を受けていない。しかし、この流れから言えば、物々しいご依頼状、大きな朱印が押され、お偉い肩書の付いたご依頼状が近々届くはずだ。もし、依頼されなきゃされないで他の時に使えばいい訳だ。たぶん原稿の締め切りは、3月の末あたりだろう。それなのに、昨年暮れから、書きだした。書いては読み、直し。書いては読み直す。適当な人間だから、他の原稿で読み、直すことは、めったに無い。どんな講演でも、大学の授業講演でも、脚本原稿は作らない。司会を頼まれても進行表だけで、何を話すかは、考えて行かない。先日、NHK高松放送のテレビ出演した時も、全国ネットのNHKラジオで30分喋った時も、ぶっつけ本番だった。
しかし『文藝もず』だけは、そうもいかない。
本当のことを言えば、依頼状が届いたとき、直ぐに「どや!」と原稿を送り着けたい気持ちがあるのだ。私は、編集者だったから、原稿が出来るのを今か今かとイラつきながら待っていた。遅筆作家として知られていた殆んどの作家を一手に引き受けてきた。その意趣返しかも知れない!