閉門即是深山 237
私設秘書
高松市菊池寛記念館の館長から電話が入った。4月に市から来られた女性館長である。なかなかの切れ者と見た。そして、柔和なお顔がなんとも良い。
「名誉館長、今東京の文藝春秋の広報室から電話が入ってきました。なんでも、菊池寛先生の最後の秘書をしていた92歳の女性から問い合わせがあったそうです。その方は、長い間ニューヨークに在住で、今回、たぶんこれが最後の日本への里帰りと思うので…と仰っているようです。文春さんは、自分のところでも名誉館長の連絡先は把握しているけれど、個人情報なので簡単には教えることが出来ないから、菊池寛記念館から宜しく伝えて欲しいとのことでした」館長から名誉館長への電話。なかなかヤヤコシイ。どうぞ、どうぞと、私は答えた。
私の連絡先など、ちょいと調べれば誰にでもすぐに調べが付く。なにも隠しだてすることも無い。頑なに、個人情報を出すのを拒めば、菊池寛の作品が世に出なくなってしまう。私の老後のひとつは、出来るだけ祖父に仕事をしてもらう秘書の役目を担うことだ。作家が身を削って書いた小説は、出来るだけ多くの読者に読んでもらいたいが為だ。阻止してはならず、出来るだけチャンスを作らねばならない。個人情報の保護は、大切だが、なにか行き過ぎているような気がする。アメリカから問い合わせがあったのに東京から高松へ、そして高松から私の住まう東京へと連絡が廻らねばならないなんて不合理であり、その分時間も手間も金もかかる。
文春の広報室から私にメールが届いた。現在92歳のおばあちゃん。昭和23年に祖父が亡くなっているから、祖父との付き合いは二十歳くらいからではないかと想像した。戦後すぐである。菊池寛は自分の半生を『半自叙伝』として綴っている。自分の書いたものだから多少の膨らみはあっても間違いはなかろう。また、その後は、仲好くしていた作家の永井龍男が菊池寛の生涯を書いているし、松本清張、井上ひさし、猪瀬直樹も調べ抜いて菊池寛を主人公とした著書を持つ。また菊池寛と親密な関係と言われた秘書佐藤碧子さんも『人間・菊池寛』を上梓している。菊池寛研究家の第一人者青山大学文学部片山宏行教授も何冊か書いている。もう何も書くものがない。その中でやっと他の本に出ていないことを私は、以前書いた。『菊池寛急逝の夜』と『菊池寛と大映』だった。
しかし、取材をしても昭和20年から22年の間、すなわち連合軍からパージを受けた時の記録がなかった。戦争反対の祖父が「戦争をしてしまったなら、負けじ!」と当たり前のことを言ったのに公職追放になった。文藝春秋の社長も大映の社長も日本文藝家協会会長も降りた。若き私設秘書は、私はその頃は、女子大生でほとんど先生の話相手だった、と言った。アメリカで会計士になり、独立し、今はマンハッタンの老人ホームにいると言う。素敵で洒落たおばあちゃんだった。祖父も惚れたかも知れないな。