閉門即是深山 174
香川菊池寛賞
よく新聞報道される菊池寛賞と香川菊池寛賞とは違う。
菊池寛賞の何んたるかは、以前このブログで書いたが、昭和14年から始まり19年までの6年間続き、戦争を挟んで小休止をして菊池寛が死んだ5年後の昭和28年から現在まで続いている。文藝春秋と並列する日本文学振興会の賞のひとつである。因みに、日本文学振興会は、他に芥川龍之介賞、直木三十五賞、大宅壮一ノンフィクション賞、松本清張賞を催している団体である。
戦前の菊池寛賞は、純粋な文学賞であった。面白いのは、45歳以下の選考委員が46歳以上の作家を選ぶという特異な文学功労賞であった。戦後になって、内容が広がった。祖父の菊池寛の功績にもとづき、菊池寛が日本文化の各方面に遺した功績を記念するための賞に変貌したのだ。この菊池寛賞の対象は、文学、映画、演劇、新聞、放送、雑誌・出版、及び広く文化活動一般の分野まで広がり、最近では、スポーツで功労した選手まで受賞対象となっている。大げさに言えば民間の文化勲賞のような性格を有しはじめた。
香川菊池寛賞は、今年で52回を数える。年に1回の賞だから52年間続いてきたわけである。数えれば私が19歳の頃に始まったわけで、地方の文学賞の中では、なかなかの歴史を持っている。
この2月24日の日、高松市役所の大ホールで第52回香川菊池寛賞が開催された。主催は、高松市、高松市菊池寛記念館、菊池寛顕彰会である。
この賞は、一般にはよくは知られていないが、新人賞の性格を持つ。賞は、香川菊池寛賞と奨励賞のふたつが受賞される。
私が父の菊池英樹から高松市菊池寛記念館の名誉館長の仕事を継いで、今年でちょうど10年が経った。よく年寄りたちの集会で「1年て早いもんだね」と枕言葉のように聞かされるが、10年は矢のごとし、ちょっと前に51回香川菊池寛賞で祝辞をしたのに、1年は矢のごとし、私はそう感じる。爺になったせいかも知れない。
私は、選考委員ではない。だから、公募されて集まった作品全てを読む訳ではない。2作品の受賞作が決定された後、香川菊池寛賞と奨励賞が送られてくる。父がどんな祝辞をしたか、私が名誉館長を退き息子がその職に就いたときにどんな祝辞をするか知らない。が、私一代限りは作品を読んでゆき、その作品をどう思ったか、感想を含めた祝辞をしたいと思っている。そして、そのような祝辞を10年続けてきた。新人賞の作品を読むのは、なかなか大変だ。ベテランの作家の作品は読ませてくれるが、新人にはその技がないからだ。あれば、むろんそのままデビューが出来、プロになれる。