閉門即是深山 123
エエ~ッ、馬鹿馬鹿しい一席を!
今回でこのブログも123回目となった、何だかわからないけど数字の横並びで、記念号のようだ。
1月だったか、結構朝早く私の携帯メールに演劇評論家の関容子さんから1通のメールが届いた。
メールの文面は、関さんに著作権があるので、そのままこのブログには載せられないのだが、要点だけをここに書くと、
落語家の春風亭小朝師匠が、4月25日(月)新宿・紀伊國屋ホール 18:30 から 私の祖父・菊池寛の小説を落語にしてお話をしてくださる、行きませんか?とのことだった。
そして、直ぐに2通目のメールが届いた。
文藝春秋の小説誌「オール讀物」で小朝師匠と作家の北村薫さんが菊池寛の作品について対談をされるのが決まったらしい。
私は、35年くらい前にその「オール讀物」の編集部の編集者だった。灯台もと暗しの例のごとく、こんな対談の企画あったよな~ぁ!やればよかったな~ぁ!これが、そのメールを読んで最初に浮かんだ感想だった。
3通目のメールには、
「オール讀物」の3月売り「オール讀物4月号」に春風亭小朝師匠VS北村薫氏との対談が掲載予定だとの報告が書かれていた。たぶん、私が何月号に載るんですか?とメールでお尋ねした返事だと思う。
そういえば、昨年8月の末だったか11月の半ばだったか高松の仕事で出張した際に、小朝師匠のマネージャーとお話をしたことがあった。
東京にいた時に私の携帯に女性から電話があった。「初めてお電話します。私は春々堂の○○です」と声を聞いたときには、私はポカンとしてしまった。文字で書けば、春々堂でなんとなく落語界の方と想像がつくのだが、声だけで「シュンシュンドウの○○です」と言われれば、なにか間違って通販の強精剤でも注文しちまったかなぁ、と思ってしまう。
「あのぉ、うちの春風亭小朝が貴方のお爺様、菊池寛さんの小説が大好きで、ぜひ落語にして高座に上げたいと申しておりますのですが…」
「もちろん、いいですよ」と私が返事をする前に先方が「ところで、貴方様は、●●日に高松にいかれますよね、確か××ホテルのはずですが、そのラウンジでご相談させては頂けないでしょうか?ホテルのラウンジでお待ちしていてよろしいでしょうか?」と矢継ぎ早に話された。よく知っている。その通りだった。
「でも、○○さんは、今東京でしょ?僕も東京にいますから、なにも高松でお会いしなくても、東京でもいいじゃな…」
「それでは、高松の××ホテルで●●日の△時にお待ちしております」電話が切れた。丁寧な言葉使いのひとで、あやしい感じもしない。僕の全てのスケジュールを知っていたとしても、スケジュール管理の専門家だろうから変なことにならないだろう。しかし、個人情報がダダ漏れであるには驚いた。
春風亭小朝師匠は、昭和30年3月6日生まれで、60歳である。3月6日?
祖父・菊池寛の命日が、昭和23年3月6日である。
なるほどね、菊池寛の亡くなった日時が小朝師匠の誕生日か?だからきっと興味を持たれたに違いない。
小朝師匠は、テレビ番組『しろうと寄席』で5週にわたって勝ち抜いたチャンピオンだった。当時は、高校生だったはずだ。天才現る!と落語界の新人として大いに期待され、5代目春風亭柳朝門下に入った。確かに、天才だった。
私は、子供のころ人形町にあった末廣亭によく通っていた。
自宅は、護国寺に近い雑司ヶ谷だったが、父が支配人を務める映画館が人形町にあって、私は土曜日や日曜日によく人形町に通っていった。映画館から歩いて2、3分の場所に寄席の末廣亭があった。そのころ好きだった落語家は「朝は朝星、夜は夜星、昼は梅干しを頂いて、あ~ぁ、すっぱいは成功の基、痴楽つづり方教室より」を枕にした柳亭痴楽師匠であった。顔をくちゃくちゃにして噺す痴楽の高座は、それはもう面白かった。
そのころ、私にこんな逸話がある。私の父が子供の私が見えなくなり心配して人形町を探しまくった。映画館のモギリの人が、私が末廣に入っていくのを見たらしい。父は、探して末廣まで来た。高座には、若い落語家が一生懸命に落語を噺していたらしいが、客席には小学生の私ひとりだった。後から父は、あの若い落語家さんは、可哀そうだったと言っていた。そして次に私がファンになったのは、若き日の林家三平師匠だった。
小朝師匠は、7代目名人林家正蔵の孫で三平師匠の次女の泰葉さんと夫婦になった。いずれは「林家三平」を名乗る名人になれるだろう。
この小朝師匠が祖父の作品を落語として載せてくれるという。作品を残すには文字だけでは、限界がある。今風のデータとしては残るかも知れないが、読みたいと思ってくれる読者がいなければ、伝わっていかない。
大昔から、残る作品は口伝である。小朝師匠から祖父の作品を口伝にして残そうというご提案を頂いたようなものである。
有難い!どの作品を題材にされるか師匠にお任せしてある。小説や芝居と落語は別の面白さがあるからだ。今、私は春風亭小朝師匠のファンになった。