かぜ | honya.jp

閉門即是深山 114

かぜ

知り合いのお子さんたち、いや皆40歳になっているからご子息とでも言おうか、そのご子息たちが演奏会をするというお父様からお誘いを頂いた。手帖を見るとその土曜日の夜の予定は何も無かった。そのライブでどんな演奏が聴けるのやらわからずに出席するという返事をした。そのご子息たちは、私の通った小、中、高の後輩たちでもある。

当日、そのお父様の家で待ち合わせをした。文京区の江戸川橋の交差点から早稲田の方に2,3分歩くとそのマンションはあった。ライブ会場は、小日向や茗荷谷駅の近くにあるらしい。一緒に江戸川橋に戻り、100円バスとやらのミニバスに乗った。

この辺は、私の子供のころの遊び場だった。4段式か5段式か忘れたが、中学の頃、親や祖母にねだって買ってもらったスポーツ式自転車をけって遊んでいた頃は、小学校時代とくらべてだいぶ行動範囲が広がっていた。

ミニバスは、音羽の鳩山邸の裏の坂を上がり、今では土地面積も小さくなったお屋敷街をくねりながら進んだ。そして、見知った大通りに出た。池袋と後楽園、上野を結ぶ春日通りである。バスは、この通りを突き抜け公園の前で停まった。会場に行くには、この公園の中を通り抜けるのが早いらしい。
その辺には、会場らしい大きな建物がなかった。
夜、6時過ぎである。暗くなった公園を歩きながら、私は背中に嫌な寒さを感じた。なにか冷たい手でさすられてでもいるような感じだった。私は、ツイードのコートを着て、マフラーまで首に巻いた重装備である。それでも背中に嫌な寒さが走った。

会場は、小さかった。なにか個人の趣味人が家を建てるときに造ったホールで小さな教会を思わせる狭さである。グランドピアノは置いてある。演奏者用の舞台としてのスペースを半分とすると、客席分の椅子は50席くらいであろうと思える。2000円を入り口で払った。会場は、満席であった。

開演前のひそひそ話を聞くとお客の大半は、演奏者たちの知り合いであろうと思われる。
司会は、お誘いを受けたお父様のご子息で、メインボーカルは、私の夭折した長男の親友の弟だった。それに同級でプロになったチェロ奏者、ピアニストは、日本の芸術大とパリの有名大を卒業したプロフェッショナル。素人と玄人の混合であった。カンツォーネである。私は、眠たさと戦うことを覚悟した。

しかし、だ、眠いどころではない。
楽しいのだ。
身体が、曲に合わせ勝手に動き出す。下手ではないが、上手くもないのだが、楽しい。演奏者たちが、楽しんでいる。それが、観客に伝わってくる。私は、そんなにカンツォーネを好きではないが、魅せられてしまった。こんなに楽しい演奏会は、はじめてのような気がする。
アンコールの時間がきた。私は大きな声で、アンコールとは言わず「もっと~!」と叫んでいた。

次の日曜日から水曜日の明け方まで、私は咳で夜眠れない日々を送った。公園を歩きながら感じた予感は的中したのだろう。あれは、風邪が身体の中に入ってきたことで起こった悪寒だったらしい。
「咳は夜におこる」
咳止めを呑み、胃を壊し、咳にむせ、トイレに顔を突っ込む夜が3日も続くと体力が消耗してしまう。
今、書いているのがその水曜日である。
下手な原稿でも体力が無いと筆が進まない。
読者には、悪いと思うが書く体力が失せてきたので何時もより短いブログになってしまったけれど、お許しを得て、今週はこのくらいにしておく。
これを読んで頂いているころは、風邪が流行していたり、空気が乾燥しているかも知れない。読者におかれましても充分「お風邪」に注意して頂きたいと思う。
コン、コン。
コン、コン!
コン、コン?