失敗の二乗 | honya.jp

閉門即是深山 105

失敗の二乗

サンドウィッチを頬張り、アイスコーヒーで呑みこみ、ソニー製のウォークマンのイヤホーンを両耳に入れて、寺内タケシとブルージーンズの「さすらいのギター」を聞いていた時だった。
胸のポケットに入れていた旧式の携帯電話のバイブレータが震えだした。コール3回は、メールが入った知らせである。慌ててイヤホーンを外し、少し氷の溶けたアイスコーヒーをすすってから、私は、携帯を開いた。アドレスから見るとどうも医者の先生からだ。
「今日は、最後に患者さんがたて混んじゃって6時半ちょっと前に病院を閉めて、今タクシーに乗って向かっています。どうもちょっと混んでるみたいで、ちょっと遅れるかも知れません。みなさんに宜しく伝えてください」
と、画面に表示されている。
「先生へ、心配なく!気を付けてね」
と私は、返信を書き、ボタンを押した。携帯を折ってポケットに入れようとしたとき、バイブがまた震えだした。4回、5回、今度は、電話だった。もっと溶けた氷で薄められたアイスコーヒーをストローですすって、私は電話に出た。
「おう、僕は現地知ってるから、直接く行わ。サブが携帯に出ないから、お前にかけたんだよ、伝えておいて!」言って一方的に電話が切れてしまった。

今日は、大変だった。昨夜、車を運転して帰宅したのだが、路の途中でエンジンが不整脈をおこした。アクセルを踏んでも、どうも力が出ない。まるで夏バテぎみの自分みたいである。朝、工場に持って行った。その日は、大きい重い荷物を夜集合する三茶まで持って行かねばならなかったからだ。帰りも持ち帰らなければならなかった。最近では、自動車はあまりプラグの手入れをしなくても済むらしい。たしかにボンネットを開けても、昔のように簡単にプラグを差し入れ、出すような仕組みになっていないようだ。

しかし、50年以上運転していると少しの変調でも、どこに原因があるか想像がつく。昨夜の不整脈の感じ、力の出なさ具合は、プラグ周辺に決まっている。この辺りなら直しても大した金はかからない。が、原因が他となれば、エンジン回りの修理では、とたんに高くなる。若いころ父が中古で買ったトヨペット・クラウンのプラグの掃除をよく手伝わされた。中古と言っても、当時自動車は高級だったから、今の新車が2台くらい買える値段だったと聞いたことがある。トヨペット・クラウンは、トヨタが生んだ最初の名車で、ドアが観音開きだったのを覚えている。1500CC、4気筒。父は、しょっちゅうエンジンから4本のプラグを抜き、オイルを染み込ませた布で掃除してた。終わった後、ゲージを使って点火位置も調整したのだ。当時は、プラグも高級だった。父に教えてもらいながら、私も出来るようになった。何十年か前に、自動車修理工場のオッチャンから「もう、プラグを触ることもなくなったんだよ」と教えられた。

さて、案の定私の愛車の不整脈はプラグの損傷らしいと判断されたが、一部コードも取り換えたいので、部品を取り寄せたいから今日は出来ないといわれた。不整脈を押して、乗って途中でエンコされてもかなわない。そこで私は涙を呑んだ。後部座席に積んだ大きな重い荷物を肩にかけて、電車を乗り継ぎ三軒茶屋まで歩いて行くことにした。しかし、時間はどのくらいかかるのだろうか?何線に乗り、どこで乗り継ぎ、何線に乗り継げば良いのだろうか。皆目見当も付けられず、そばの地下鉄の入り口を降った。

子供のころ、三茶のサブの家には電車でよく行った。渋谷に出て、東横百貨店の上からグリーンの玉電に乗り換える。電車が路面で揺れる。かなり時間がかかった。今は、路面を走らなくなった。玉電は、田園都市線と名前を変え、地下鉄半蔵門線に乗り入れられていた。何だ!あっと言う間に着いてしまった。集合時間には、2時間以上もある。仕方なしに降車駅の、サブの家に近い店に入った。上島珈琲三軒茶屋店である。まぁ、ちょっと喉を潤して、早めにサブの家へ行けばいいかと電話をかけてみた。ついでに先生の伝言とヨージが直接スタジオに入ると言ったことも伝えよう。サブは、風呂に入っていた。
「今、孫ふたりを風呂に入れてるとこだ、これから飯も食わさなけりゃならない。集合時間まで、その喫茶店で待っていてくれ!」返事は冷たかった。あぁ、我々も孫を面倒看る年なのだ。だって数えで70歳だもん。年寄りの手習いだもん。

スタジオには、5分遅れで集合した。サイドギターの先生もなかなかの腕だ。サブやヨージは、小学校、中学校からの親友。大学時代にバンドで荒稼ぎした仲間だ。昔のサイドギターの2人は、故人になっている。キーボードは、引き籠り。先生は、ほぼ我々と近い歳である。初めて我々の仲間に入ってもらった。初対面でぎこちないが、Shadowsの「春がいっぱい」、Venturesの「Needles and Pins」や「Tranbone」、寺内タケシとブルージーンズの「Blue Star」と続く。だんだん息が合ってきている。サブと私は、他にジジバババンドで演奏しているが、歌手を中心としているから、インスツルメンタル(楽器だけの演奏)もなかなか楽しい。続けていけばモノになりそうな予感がする。

練習を終え、帰り支度を整えて、ふと携帯を見てビックリした。「日本ペンクラブ」からのメッセージが何本も入っている。気が付いた。上島珈琲で何時間も待つ時間の余裕はなかったのだ。ペンクラブの会議があった。車の心配ですっかり忘れていた。詮方ないか!大きな重い荷物のせいで今ブログを書きながら、腰が痛い!