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閉門即是深山 99

BS朝日

高松市にある菊池寛記念館から携帯に電話をもらった。
「ナツキさ~ん!今、BS朝日放送の女性の方から電話がありました~!初めにナツキさんのいらした出版社に電話を入れたらしいのですが、個人情報でもありご連絡先をお教えすることが出来ませんと言われたそうですが、どうしましょうか?」
こんな内容だった。

放送局の方は、だいぶあちこちに電話をして私への連絡先を探したらしい。以前は、このようなことはなかった。個人情報保護法が制定された後、面倒くさくなった。仕事上、相手がはっきり名乗れば連絡先を教えても良いではないか。それに相手は、可愛い声の女性なのだ。私は、借金取りや私に危害を与えそうな人以外は、携帯電話に出ることにしているし、特に可愛い声の女性ならば、積極的に電話に出る。
「そのBS朝日の可愛い声の女性に携帯番号を伝えてくださいな。いつも言っているでしょうが、私は男性嫌いだけど女性の場合は電話に出るから番号を伝えてくれって!」
「はい、はい!でも私は、ナツキさんに一度も可愛い声の可愛い女性からの電話だなんて言ってませんよ」送話機から反論が聞こえてきた。
「女性は、みな可愛いのですよ、可愛い声なんですよ、女性は!」
私は、高松からの電話の反論に反論してみた。
「名誉館長のお祖父さまの菊池寛さんは、女性好きと聞いていましたけど、ナツキさんも輪をかけたみたいだ。お爺さまの悪いとこだけ似てますねぇ、ほな、先方にナツキさんの携帯番号をお伝えしましょ」怒りを込めて電話が切られた。

私は、可愛い声の持ち主である放送局の女性の電話を楽しみに待った。オフィスでは、他の人がいるからデレデレする訳にもいかない。家でも受けたくはなかった。そこで、私は車を走らせ駐車場が備わったデニーズに向かった。ここならば、本を読みながら、珈琲を飲みながら、煙草を吸いながらゆっくりと可愛い声の女性からの電話を待てる。何時間でも待っていられるし、ニヤニヤして妄想を豊かにしても追い出されずに済む。少々変な爺さんと思われるかも知れぬが、そんなこたぁ屁みたいなものだ。とにかく可愛い声の、美女で、優しい女性なのだ。きっと知的で、私を尊敬し、出来ればこの糞爺とお付き合いしたいのだ。老後の面倒をみたいのだ。温泉に共に行き、こっち見ちゃやぁよ、なんて言いながら私の背中を流したいのだ。疲れたでしょ、なんて言いながら私をマッサージしたい可愛い声の美女で、全身優しさに溢れた乙姫がこれから遠慮しながら私に連絡をとろうとしているのだ。どんなに恥ずかしく、もどかしいだろうか、可愛そうだ。なんて思っていたら、隣のテーブルを囲んでいる若い女性たちから「いやらしい爺め!」みたいな顔で睨まれてしまった。
携帯のバイブレータが震えた。

芥川龍之介賞と直木三十五賞の受賞式は、2月と8月と年に2度行われる。今年の上半期の両賞の受賞式は、帝国ホテルの孔雀の間で8月21日金曜に催された。今回の授賞者は、芥川賞、『スクラップ・アンド・ビルド』の著者羽田圭介氏と漫才コンビピースのひとり『火花』の著者又吉直樹氏、直木賞は、『流』の著者東山彰良氏である。
2月の贈呈式は、会場は満員となる。1000名から1200名位のお客さまの来場となるから、あまり心配していないが、8月は、夏休みをとる方が多いせいで、お客の出足が悪い。作家たちも涼しい場所に逃げながら原稿を書くから、こちらも少ない。なので、以前担当していた部署であるから心配で夏は、是が否でも出席することにしている。枯れ木も山の賑わいだろうと思ってのことだ。しかし、今年は違った。会場は、ラッシュアワーの通勤電車並みであった。取材陣もかなり多いようで、テレビカメラもかなり来ていた。
受賞式が終わると懇親のパーティーに移る。会場には知り合いも多く、キクチさん、講談社も可哀想だよ、直木賞なんて満票ですよ、最初から全選考員の先生が○を付けるなんて今までなかったんじゃないかな、それなのに直木賞の東山さんより、みな又吉さん効果で来ている。書店さんだって良い場所がみな又吉さんだからね、東山さんの授賞作品を出版した講談社なんてガックリしてるようですよ。私は、まず東山さんに向かう挨拶の列に並んだ。挨拶し終わると羽田さんの列に並んだが、羽田さんのお仲間が授賞者を囲んでスマホ写真を撮っている。いっこうに進まない。そこで並ぶのを止めて又吉さんを探した。どうもガードされているようだが、ふっと横を見ると私の隣に又吉さんの顔があった。慌ててしまったので、何て挨拶したのか思い出せない。
又吉直樹氏の効果もあり芥川賞が、若い人達にも知られることになったかも知れない。200万部以上も印刷にかかったのだから、その中には、今まで一度も小説を読んだことの無い人もいただろうし、純文学を読んだことの無い読者もいたに違いない。なんでも良い!芥川賞が人の為になれば!

可愛い声の女性からの電話は、悠長に私が妄想をしていたような一声ではなかった。切羽詰まったような声で、BS朝日の9月中旬以前に2時間近い特番が組まれていて、今制作中だが、判らないことが多いので制作に協力して欲しいらしい。私は、今だ見ぬ可愛い声の、優しい、美女の問いにイエスと答えた。もちろんあの厭らしい妄想は吹き飛び、純粋に祖父の設立した両賞を想ってのことです!

※放映される番組はこちらです。
9月10日(木) 19:00-20:55 BS朝日「ザ・ドキュメンタリー/お笑い芸人 又吉直樹が芥川賞 『火花』誕生秘話と文学界の今」