桜と梅と桃 | honya.jp

閉門即是深山 81

桜と梅と桃

長野行きの新幹線が金沢まで繋がってから、初めて私は「はくたか」に乗ることになった。
「はくたか567号」は、東京駅を12時56分に出発する。家から東京駅まだ30分とはかからないのだが、私は、9時に家を出た。平日の毎日の日課は、早めに目的地に着いて近くの喫茶店に入りコーヒーと煙草と本を楽しむことにしている。サラリーマンを辞めてから出張が増えた。東京駅から新幹線を使うことも増えたわけで、八重洲口で、コーヒー、煙草、本で長居できるところを知っている。駅の中で無理なように思われる方も多いだろうが、八重洲口の地下街にこの3点セットを楽しめる喫茶店がある。混むから教えない!

八重洲口の名には、深い感慨がある。私の祖父・菊池寛が文藝春秋を創設して最初の採用試験に自ら出題したひとつが、この「八重洲とは」という語源の説明を求めた出題だった。八重洲は、江戸時代に漂着したオランダ人ヤン・ヨーステンの名前からとったと言われる。ヤン・ヨーステンは、後に徳川家康の国際情勢顧問や通訳をし、家康からこの地に邸宅を与えられた。
まぁ、コーヒー&煙草&本には些か関係の無い話になってしまった。

10時少し前にその喫茶店に着いた私は、喫煙席に座った。とにかく読書を始めれば時間を忘れる。
ふと時計を見ると、出発の20分程前である。ホームには、5分とかかりはしないが、幹事をされている方のためには少し早めに着いた方が安心されるだろう。駅内の弁当屋でお茶だけ買って、ホームに上るエスカレータに乗った。
一同揃って「はくたか」に乗り込んだ。車体は、白に茶系のラインが入った美しいスタイルをしている。車内も東海道新幹線より美しく、シャープで綺麗な気がする。配られていた切符の席は、ライターのCさんの隣だった。個人情報保護のため、名前を伏せなければならないのが残念だ。私は、初めてこの名前の方とあった。

上野、大宮からも仲間が乗ってきた。しかし、Yさんの顔が見えない。スタッフ表には、確かにあった。誰かが車内からYさんの携帯に電話をしている。
明日じゃないでしょヨ!今日ですヨ~!皆、もう新幹線に乗ってますヨ!えっ、今家なんですか?明日だと思ってた?後からでもヨロシク!一人欠けた新幹線は、1時間少しで下車する佐久平の駅に着いた。目的地小諸までは、車で10分くらいらしいが、協賛してくれている島崎藤村ゆかりの宿中棚荘のバスが迎えに来ていてくれた。前夜祭は、市長を招いてキッコーマンのマンズ小諸ワイナリーで行う。時間は、まだ充分にある。バスは、島崎藤村記念館のある懐古園に向かった。以前にもこのブログに書いたが、日本ペンクラブの80周年の催しとして《ふるさと文学》を今年から始める。今回がその第1回目で、初代ペンクラブ会長だった島崎藤村のゆかりの地、小諸からこの事業を始めた。

懐古園は、桜が満開だった。梅も桃も同時に咲いている。懐古園は、城跡で三の門は、国の重要文化財である。
懐古園から見下ろす千曲川は、絶景でつい藤村の「千曲川旅情のうた」の一節を口ずさむ。

小諸なる古城のほとり 雲白く遊子<いうし>かなしむ
みどりなすはこべはもえず 若草も藉<し>くによしなし
しろがねの衾<ふすま>の岡辺 日に溶けて淡雪流る

あたゝかき光はあれど 野に満つる香も知らず
浅くのみ春は霞みて 麦の色わづかに青し
旅人の群はいくつか 畠中の道を急ぎぬ

暮れ行けば浅間も見えず うたかなし佐久の草笛
千曲川いざよふ波の 岸近き宿にのぼりつ
濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む

翌日の小諸は、快晴であった。12時半会場であるにも関わらず小諸市文化センターの入口には、10時過ぎからお客が並び出した。人口約3万5千人、はたして文化センターの座席760席が埋まるだろうか?ところが、満席になり会場に隣接された教室の60席も満員御礼、ロビーの画像の周りにも30名以上いただろうか。900名近いお客様がかけつけてくださった。中には、飛行機、新幹線を乗り継ぎ来られた方もいらっしゃると聞いた。

舞台は、浅田次郎日本ペンクラブ会長のご挨拶から始まった。そして第一部、構成脚本は、作家の吉岡忍さん。映像制作は、映像作家四位雅文さん。弁士は、講談師の第一人者 神田松鯉さんの映像活弁『夜明けを開く~島崎藤村の人・作品・世界』が客席を魅了する。
第二部は、対談『島崎藤村の小諸』語りは、作家の井出孫六さんと下重暁子さん。客先から頷く声が聞こえてくる。
第三部は、朗読とコンサート。『木枯らし紋次郎』の俳優 中村敦夫さんが、藤村の作品を朗読してくれた。客席は、ひと言も聞き洩らすまじとシーンと静まりかえった。次は、元劇団四季にいたふたりのコンサート。もちろん島崎藤村の詩をアレンジした唄で、柳瀬大輔さんが唄を歌い、鎮守めぐみさんがピアノを弾いた。歌に合わせて、客席が輪になったような手拍子がおこった。
ありがとうね!また、来てね!楽しかった~ぁ!嬉しかった~っ!最高でしたよ!ありがと~う!口ぐちにお客様たちが出口に向かうときにかけてくださる声が、私の頭の中に木霊のように聞こえた。

「この街で、作家は詩をつくり、小説を書いた。パリに旅立ち、ブエノスアイレスを訪ね、日本の夜明けに光をあてた。その業績から、ふるさとと文学の絆を解き明かし、地域の未来を展望してみたい。」
(日本P.E.N.クラブ80周年企画《ふるさと文学》パンフレットより 文・吉岡忍)