貢ぐ女 | honya.jp

閉門即是深山 66

貢ぐ女

「きゃ~!元気だった~」
パーティー会場の受付であろうと、大勢の人前であろうと彼女は私を見つけると走ってきてハグをしてくれた。そのとき、彼女は私の苗字を呼んだか、名を呼んだか覚えていない。こころ温かい彼女の腕の感触が今でも私の背に残る。
なにしろ私の顔は誰も知らないだろうが、彼女の顔は誰しもが知っていた。
たしかに女性からハグされるのは、恥ずかしかった。まわりの人たちは「なんだろうこの男は?」という顔をして私を睨みつけていた。
以前、彼女は女優だったと聞く。佐久間良子さんや山城新伍さんと同期の東映のニューフェイスだったらしい。その後広島に行き、ついに銀座で一世を風靡した有名なクラブ「姫」の女主人となった。
作詞家としても有名で、五木ひろしの「よこはま・たそがれ」や「長崎から舟に乗って」「待ってる女」を書いた。内山田洋とクールファィブの「噂の女」も、中条きよしの「うそ」、そして、石原裕次郎が歌った「ブランデーグラス」も彼女の手によって創られた。
私はカラオケで歌わなければならないとき、彼女の「噂の女」や「よこはま・たそがれ」、「待ってる女」を選ぶ。
彼女は、持てる才能を思う存分発揮した。
32年前、私が彼女と初めて出会ったとき彼女は小説を書きたいといった。そして、出来上がった彼女の処女作が『貢ぐ女』だった。私小説のようなエンターティメントを書くのは難しい。それを難無く彼女は、クリアーした。キャラクター創りも巧かったが、シチュエーションも上手い。『貢ぐ女』の最後の場面を私はよく覚えている。男がそのスナックに入ってくると、女は左手につけていた彼からの贈りもののリングをはずし投げつける。指輪はころころと転がり、路の溝に落ちてしまった。
この作品が直木賞の候補になった。
次の作品『プライベートラブ』で彼女は吉川英治新人賞をとり『弥次郎兵衛』が再び直木賞候補に挙り、『演歌の虫』と『老梅』の二作品で昭和60年第93回直木賞を授賞した。生涯で彼女が世に出した小説は、この五作品だった。
女のこころを描く名手であった。昨年、山口洋子は鬼籍に入った。
「山口洋子さん、お別れ会」のご案内 と書かれた手紙が暮れに届いた。そこには、発起人一同の言葉で「哀しみは尽きませんが、にぎやかが好きだった山口さんを偲んで、大いに語り合うひとときを過ごしたいと思います。ぜひご参集ください。」と添えてあった。一瞬私は、出席を迷った。なぜだか判らない。たぶん彼女は実は「にぎやかが好きじゃなかった」と思ったからだろう。
苦しくもあったであろう彼女の人生を土台にして書いた彼女のエッセイの巧さが、私の足を停めようとする。きっと彼女は、寂しがり屋であったはずだ。
“ホテルの小部屋”“残り香”“煙草のけむり”“ブルース”“口笛”“女の涙”
寂しい言葉を残し、「彼女は逝って、行ってしまった。」もう帰らない。