「不味い」について | honya.jp

閉門即是深山 64

「不味い」について

クリスマス飾りがはずされ、世間は正月に向けて走りだした。
日本人は、とても器用だと思う。
たった1週間で、北は北海道から南は九州、沖縄の隅から隅まで衣替えをしてしまう。
私が愛してやまぬタイの国でも、香港、台湾、中国、韓国のアジアの国々でも、また欧米諸国でも、正月もクリスマスツリーが飾られ、電飾がキラキラと輝いている。
1週間は、長いようで短い。日本全国がいっせいに衣替えをするのだから、とても短いといっていいだろう。
この時期になると、私はいつも思う。日本人は、なんて勤勉なのだろうと。
この一国全体の衣替えを見ていると、歌舞伎の早変わりを感じる。以前テレビで歌舞伎の裏側を見せていたが、役者が舞台の上手に下がると、裏を走りながら衣装を変え、素知らぬ振りをして下手から顔を表していた。こんな形の芝居は、あまり他国では観られない。ちょうど今、日本国中が早変わりをしているようだ。
クリスマスのリースをはずし、そこに松飾を置く。ツリーのあった場所は、鏡餅に替える。忘年会や畳み替え、風呂掃除の旦那方、窓ふきや正月おせちの用意をする奥様方、それでなくても忙しいのに、たった1週間で日本中が全て入れ換わるのだから大変なエネルギーだ。

私の家の雑煮は、2種類仕立てていた。子供のころからである。ひとつは、父と私が好んだ四国高松の雑煮で白みそ仕立てである。高松は、祖父の里であった。もうひとつは、江戸前の雑煮である。私が一家を持ったときも同じようにしていた。私と長男は、白みそ派。家人と次男が江戸前だった。
白みそ仕立ての雑煮は、われわれ家族にとって至極あたり前のものである。が、他人様に不思議がられた。甘い白みその味噌汁に、湯がいた大根と人参の銀杏切りを入れ、餡入り丸餅をいれて、これも湯がいた青物を載せ、おかかと青のりをかける。いつの時代か知らないが、四国高松の人々は、京都に憧れを持っていたような気がする。白みその味噌汁は、京都では普通の碗物だからだ。
長男が夭折したのをきっかけに、両派閥の力関係が変わってしまった。私しか好まぬ白みそ雑煮は、元旦に食卓にのるが一年の内1回のみになった。餡入り丸餅は、現在の東京では、なかなか手に入らない。丸餅を食べていたのは、子供のころで、ある時から茹でた角餅に替った。ためしに食べて頂きたい。病みつきになると思うほど旨い。

先日、日本ペンクラブで会議があった。来年は、日本ペンクラブ創立80周年の年で、企画事業委員として私もその会議に参加した。
議題は、各地域とその地の出身文士たちを語るフォーラムである。題して特別企画《ふるさとと文学》。第一回目は、ペンクラブの初代会長島崎藤村のふるさと信州の小諸で催したいことや、時期のことやら、決めねばならないことが山ほどあった。
会議のスタート時間は、3時からである。私は、前回のブログを書き終えパソコンの電源を落とした。しかし、少し間がある。昼飯を喰わずにブログを書いていたから小腹がへっていた。ペンクラブの事務局は、地下鉄日比谷線の茅場町近くにある。私は、そこで大勘違いをしてしまった。私がオフィスとして使用させてもらっているのが、地下鉄の溜池山王駅である。通勤には、南北線と有楽町線とを使う。乗り換え駅は、地上では、官庁街の霞が関の近くにある永田町駅である。地下にある永田町駅は、蟻の巣のようになっている。三つの地下鉄の路線が交差し、人の流れも地下の巨大なロータリーのようである。
ある日、その地下交差の場所に大きなフードコートが出来た。和食、ステーキ、カレー屋となんでもある大食堂だ。昔あったデパートの食堂を思っていただいても構わないだろう。小腹のへった私は、永田町で乗り換えるものと思ってしまったのだ。
そして、その小腹を満たすものはカレーだと。カレーには、魔力のようなものがある。一度、カレーにしようと思うと他の食べ物を連想できなくなる魔力である。さて、私はペンクラブに行くために溜池山王の駅に通じる階段の前に立った。そのとき、勘違いに気が付いたのだ。乗車する地下鉄は、永田町を通らないことを……。
悲惨であった。脳は、カレー屋を追い求めているにもかかわらず、銀座線から日比谷線に乗り替え茅場町駅に降り立った私は、茅場町近辺を浮浪したにもかかわらず、カレー屋をみつけることができなかった。その後カレーを断念してあちこちの店をのぞいたが、どこも昼のランチ時を過ぎていて店じまいをしていた。諦めかけていたとき、ひとつの看板をみつけた。“大人気!当店自慢オムライス!”。このとき「小腹へった」が「大腹へった」に変わっていた私は、その“大人気!”にしがみ付いた。
塩辛い卵に、べちゃべちゃなご飯に、ケチャップとご飯の塊。口に入れたとき、私は、初心を貫き通せず妥協した自分を呪った。そういえば、私自身の人生もそれに近かったのではなかろうか。カレーにすればよかった!
読者の皆さま、本年は読んでいただいてありがとうございました!来年は、カレーに固執せず、頑張ってブログを書こうと思っております。良いお正月を!