閉門即是深山 52
「異常」について
その日の前日の夜のニュースは、どのテレビも同じだった。
ある種の蚊が媒体になって撒き散らすデング熱に千葉県の男性がかかったらしい。その人は、海外旅行もしていないし、東京にも行っていない。詳しく調べると代々木公園からばら撒かれたものと同種だったらしい。映像は、その方の住む場所と代々木公園が含まれるその間の距離が書かれ地図と、どうも蚊に刺されたのではないかとその方が証言する家の近くの公園を千葉職員が消毒をしている姿を映し出していた。
テレビのニュースは、短時間に集中した大雨の被害にうつった。小岩の駅が水浸しになり、サラリーマンの帰宅を困らせている映像が出ている。男たちは、諦め顔でズボンをたくし上げ、膝まで浸かって駅講内を歩く。女性たちは、パンプスを手に持ち滑るように溜まった水をかき分け進む。台東区に映像が変わり、秋葉原付近の路地のマンホールから水が3メートルほど吹き上げる映像になった。ガード下の路の窪みが池と化し、そこにハマったタクシーの座席あたりは、キャスターの靴が完全に水没するほどに水が溜まっている。
画面は、埼玉県のある駅に変わった。
どうもその駅に近い学校に通う盲目の少女に起きた事件らしい。キャスターの話に耳を向けると、少女は改札を出て、目の不自由な方のために引いてある床の目印に従った出口を目指していた。彼女は、白い杖を自分の眼として頼りにしていたようだが、その杖の感触から杖を誰かにぶつけてしまったらしい。見えぬ相手が、自分の杖で躓いた感触があった。と、少女は語っている。その後、事件は起きた。少女の後ろ、足の脹脛<ふくらはぎ>あたりに衝撃があった。犯人は、彼女には見えない。男かも女かも判らなかった。犯人は、声もかけず、彼女を背後から襲い、蹴飛ばし、転んだ彼女に全治3週間の怪我をさせた。
彼女は、恐怖と闘い、それを口に出すことを考え、夕方通報した。
何局もあるテレビ放送のニュースは、ほとんど同じようなスタンスをとっていた。
確かに、卑劣な事件だった。眼の不自由なひとは、家を出るだけで恐怖だろう。同国民や日本人の日頃の行いを信じて、彼らは勇気を絞り出し、通勤や通学をしているのだろう。微妙な点は、健常者の私には判らないが、大きな枠でとらえれば判る。声も出さず、眼の不自由なひとの弱点を知りながら、後ろから忍びより、仇を討つのは、確信犯であり、卑劣でもあり、微罪であるか否かを別にしても捕えて欲しい。そして、その顔を画面一杯に映し出して欲しいものだ。その顔を見て、私も嘲り、軽蔑したい。この行為は、どんな理由があろうとも、人間として、卑劣で、恥ずかしく、許し難いものだからだ。
が、ニュースで伝わっていない部分があった。キャスターにも本人の証言にもなかった一言が、どのニュースにも表現されていなかった。私は、そこに違和感を感じた。確かに、犯人のおこなった行動は相手が盲目の少女であるだけに卑劣であるが、その少女の白い杖が最初に犯人にぶつかったような少女の証言からすると、彼女は「ごめんなさい!」と言ったのだろうか?もちろん、彼女に瞬間の恐怖や、何が自分に起きたのかわからないと言うことがあったやに思うのだが、杖があたって転びそうになった犯人にむかって「すいません!眼が見えないもんで」と言うくらいの時間がなかったのだろうか?私自身、眼が不自由ではないから判らないが、人間関係の気薄が感じられた。これが、私の違和感である。
最近の映画館は、車椅子の人が観られるようなスペースがある。その日の前の日曜日、近くの映画館に行った。開始時間少し前に車椅子の老人と映画館の係らしいひとが入ってきた。その車椅子の老人は、確かに金持ちのように見えた。入って来る入口付近に車椅子用のスペースはあった。しかし、老人は、車椅子をそこで捨て、杖を持ち、覚束ない足どりで、周りの椅子の背を掴みながら、階段を上がり、特別席に向かった。私は、席を立って手伝おうとしたが、いちおう「お手伝いしましょうか?」と声をかけた。以前、地下鉄のホームで盲目の方が停まっている電車に沿って歩かれていたが、どんどん電車に近付いていった。心配になった私は、その方に「危ないですよ」と言って、その手を触った。白い杖が私を敲<たた>いた。悪いことをしたなぁと、私は、反省したのだ。結果、かならず行動する前に声をかけることにした。「お手伝いしましょうか?」と。車椅子の老人に拒否され、私は、路を開け、席に戻った。
ニュースの終わりは、為替レートや本日の株の状況のニュースだった。円は、106円何銭。本来、自民党は、円安になれば輸出企業が立ち直り、日本は、不況から脱出出来ると言っていたはずだが、長い間円安傾向なのにその兆候も見えない。全てが、いままで通りには、いかなくなったようだ。これらは、古い人間の私には「異常」に見えるのだが、どうであろうか。その日、朝から東京は、大雨洪水警報が出され、前が見えなくなるほどの集中豪雨が降っていた。北海道でも警報が出され80万人近くの人が対象の避難勧告が出された。そんな大勢の人がどこに、どうやって逃げればよいのだろうか。北海道に大雪警報が出される話ならば、話も判るが、豪雨の北海道で避難勧告とは。これも何か「異常」を感じる。
さて、言い訳をすると、冒頭の部分のフレーズの「の」を四か所も使ってしまった。書き手ならば、お判りになると思うが、文章のワン・フレーズに二か所以上「の」を使うのは、ご法度である。しかし、そのご法度をやぶってみたかったのだ。確信犯である。それとも、私こそ「異常」なのだろうか?