閉門即是深山 37
お引っ越しについて
私の祖父・菊池寛は、高松から東京に出てきて25回引っ越しをしたという。川端康成氏の随筆には、その引っ越し先の所番地まで克明に記されていて、遺族にとってとても便利をしている。むかし家のそばに菊池寛さんが住んでいたと聞いていたのですが、本当ですか?何番地でしょうか?と、よく質問を受けることがある。私は、いかにも自分の持っている知識をひけらかすように、ちょうど何年ころから何年ころまでお宅のお傍の何とか町何番地に住んでいたらしいですよ、そのころ何とかという作品を発表していますから、きっとお宅の傍の家で書いていたのですねぇ、と知ったかぶりをすることにしている。そのアンチョコとなるものが、川端さんの随筆であった。
祖父は、独身時代東京にも、京都にも下宿をしている。また、貧乏だったため成瀬家というパトロンになってくれた銀行の頭取の家にお世話になっていた時代もある。しかし、25回の引っ越しの中に下宿生活は、入れていない。
祖父が、高松の士族の次女奥村包子と結婚したのが、29歳の時であった。祖母包子は、“かねこ”と読む。ふたりは、結婚して貸家というかひとの家の二階に間借りして新婚生活を送った。これを、25回の起点とする。祖父は、59歳で急逝するのだが、その30年の内で25回の引っ越しとは、いかにも多い。平均すると1年ちょっとで引っ越しているわけだ。引っ越しを平均するのは無茶な話しかも知れない。が、いかにも多い。
私は、祖父の終の家だった東京の音羽の近く、護国寺の傍の豊島区雑司ヶ谷に生まれた。子供のころは、一生引っ越しには、無縁と感じていたが、結局今までに私も7回引っ越しをした。まあ、大体誰の人生において引っ越しは、この程度ではあるまいか。しかし、祖父の25回の引っ越しの数は、いかにも多い。
浅田次郎氏のエッセイ集『勇気凛凛ルリの色 4巻シリーズ』(講談社文庫刊)を読みふけっていたら、ついついタイトルの「方向オンチについて」とか「同士討ちについて」とか「○○について」を真似したくなり、「引っ越しについて」とつけてしまった。
祖父の引っ越しの話から書きだしてしまったから大層大げさな話になってしまったが、大ごとの引っ越しの話を書くつもりではなかった。「序文が長くなってしまったが、まあ聞いてくれ」あれ!これも浅田さんのエッセイでよく使われているフレーズだったっけ。
私の引っ越しは、オフィスの1階から3階までの引っ越しである。オフィスと言っても、私のモノではない。4、5年前に出版社を辞め、大量の辞書と本を抱え、家にも帰れず、途方に暮れていたころ、ふと思って入り込んだところだ。
場所もすこぶる良い。なんせ、東京のど真ん中である。赤坂にあるそのビルから北に10分も歩けば、首相官邸である。国会議事堂もある。南に10分で六本木交差点に出る。西に5、6分でかの有名なTBS本社があり、東に4、5分でアメリカ大使館やホテル・オークラに着く。オフィスは、東京の中心地、ど真ん中なのだ。
まぁ、このブログを読まれた読者で、訪ねて来られるような酔狂な方は、おるまいが、念の為にもう少し詳しく説明すると、かの有名なるサントリー・ホールや全日空インターコンチネンタルホテルの目の前にある。多くの森ビルが立ち並ぶビルの谷間にひっそりと隠れたような、私にぴったりの場所だ。すこぶる良い。けして知らない人のビルに、大きな荷物を抱え居座ったわけではないが、似たようなもので、今中国がやっている方法を中国より先に考えついた私は、中国の習近平国家主席より偉い!なんでも居座った方が勝ちなのだ。
私が居座ったのは1階で、大量の荷物を上階に持ちあげられないと駄々をこねた。1階のオフィスは、ビルの面積の半分はある。後の面積は駐車場に使っている。と言っても、私の家の居間と私の部屋を足した広さに私の荷物と私のデスクを置き、居座り続けた。私は誰かが入って来ると睨みつけるから、誰も入ってこれず、駐車場も私の車で乗りつけるわけだから、1階全てが私のものと等しい。赤坂では、私が国家主席なのだ。ざまーみろ! ただ、心配なのは、夜中で、私が家に帰った後に大量な辞書、資料、私の居場所を捨てられる恐れがあった。私は、帰ったふりをして、ビルの隙間に入り毎夜双眼鏡で見張っていた。それを知った家主は、その態度に怖れをなし、手出しができなかった。しめしめ!
しかし、事は突然起こった!
業を煮やした家主は、ついに強硬手段に出たのである。1階を全部造り直し、日本料理屋に貸す算段を、私の眠る夜中に計画し、夜中に決定し、夜中に契約した。もちろん、私は、居住権、その他の権利、憲法、刑法、民法、都条例を駆使して戦った。そして、私は、妥協に妥協を重ね、ついに3階の私の好きな場所を勝ち取り、オフイスとした。本来、私は広い場所が苦手である。私の部屋など、ベッドを歩かねば通行不可能な状態にあえて狭くしている。本来、私の夢のオフィスは、便所の大きさなのだ。家主に「便所がいい!」と戦ったが、他のひとのことも考えてください!と下手に出られてしまった。家賃も払わず、水道、ガス、電気料金も払わず、突然居座った私の立場は、客観的に見たら弱い。でも、私は強い!便所の永久使用権は、あきらめたが、結局1番好きな場所を勝ち取った。今までも遠慮の気持ちはなかったが、死ぬまでここを私のオフィスにしようと今決めたところだ。以前よくこのブログに出演した幻の男、日本橋の欄干にある麒麟によく似た男T某が京都から引っ越しの手伝いに来てくれたから、全部やらせた。私は、いつもの喫茶店でコーヒーを飲み、タバコを吸い、このブログの構想をしていた。そのT某の努力によって出来上がった、すこぶる居心地の良い永久のオフィスの机で、いま、このブログを書いている。