小さな嘘 | honya.jp

閉門即是深山 12

小さな嘘

人間は、嘘をつく動物ですね。知恵を持つとは「嘘」もつけるということなのでしょう。先日、私は小さな嘘をついてしまいました。

元集英社で先輩のYさんと元小学館の私と同じ歳のAさんと、日本ペンクラブの企画事業部の話をするために神保町の喫茶店で待ち合わせをしていました。
Aさんから少し遅れるからと連絡が入り、Yさんと雑談をしていました。
昨年、私は、推薦を受けて日本ペンクラブに入会したのですが、クラブのために何の役にも立たず2年近くも日を過ごしてきました。

日本ペンクラブは、一般社団法人で1935年に設立されました。
「ペン」とは、「P.E.N」のことです。「P」は、a poetのことだろうと私は、想像しています。ポエすなわち詩人や劇作家のことだろうと。「E」は、エッセイストとエディター。随筆家や編集者がこの中に入ります。「N」は、ノベリストのことでしょう、小説家の方々です。
この日本ペンクラブは、小説家や詩人、劇作家、随筆家、編集者たち、文筆業を生業とした人たちのクラブ組織なのです。
先に書きましたように、1935年、今から約80年近く前に、ロンドンに本部を持つ「国際P.E.N」の要請を受けて日本センターとして日本ペンクラブが設立されました。
「P.E.N」クラブは、「言論の自由」「表現の自由」「出版の自由の擁護」「文化の国際的交流」を目的としています。人間の本来持つ自由を主眼としているわけです。
1935年設立のときの初代の会長は、島崎藤村氏でした。第2代会長は、正宗白鳥氏、第3代は志賀直哉氏、第4代、川端康成氏と続きます。いろいろな事件や意見の対立もあり有名作家の脱会事件もその間相当にあったようです。
最近では、第14代会長に故井上ひさし氏が、第15代会長に短編の名手といわれる阿刀田高氏が就任されています。
現在の浅田次郎第16代現会長の話によれば、会長職は、激務だと言われていました。

その日本ペンクラブから企画事業副委員長をしてくれないか?というのが、喫茶店での話でした。企画事業部がどんな仕事をしているのか、喫茶店のヨタ話では、判りませんが、Yさんが、委員長を勤め、Aさんが、副委員長を勤めていらっしゃる以上、「季節の違うエプリルフール」では、ないようです。
また私は、編集者として物書きとして入会させて頂いた以上、何かのお手伝いをしなければ、肩身もせまかったことがありました。何か話があったら「お受け」しようという覚悟は、持っていたのです。
今だに、Aさんは現れず、Yさんは私が副委員長をやらないかと、口説いてくれていました。どうも、その内容は、私が現役時代に経験をしてきたことでした。作家の講演のお手伝いは、若いときに、よく『文藝春秋文化講演会』に随行役に駆り出されていましたし、いろいろなパーティー類の下働きは、芥川賞・直木賞、菊池寛賞、松本清張賞、大宅賞などを催す部署の担当局長もしてきました。これなら出来る、私がそう思ったときでした。喫茶店のドアが開き、Aさんが入ってきました。Yさんは、Aさんにむかった「菊池さんは、OKだよ!」こればかりじゃないんだよ、これから、もっと企画を出し合ってペンに貢献しなけりゃならないけど、今日は、このへんにしておこう!みたいなことをいっています。えっ、それだけじゃないんだ!あとナニが?そう私が思ったとき,Aさんが、私の顔をみて、
「さぁ、さぁ、小さいことは後にして『麻里』か『モモ子』のところにでも行こうよ!」
というのです。『麻里』も『モモ子』も銀座にある文壇バーの名前です。えっ、なにも相談も抜きで直ぐに銀座?私は、ちょっと躊躇しました。「委員になることは、イエス」といったものの、判らないことが多く、Aさんからも話を聞きたかったからでした。「いいの、いいの」とAさんは立ち上がります。Yさんは「今日は、僕は、もうひとり会う約束をしてるから、ふたりで行ってくれば?」といいます。
そのとき、私はAさんに小さな嘘をつきました。
「僕も、次に予定が入っているんだ」と、何も予定がなかったのに。
「そんなら、ひとりで行くか!」Aさんは、つまらなそうな顔つきです。別れて、Yさんと地下鉄の階段を私は降りました。改札の前で「Yさん、他にどんな事をすればいいんでしょうか?」ふたりは、10分くらい立ち話をしました。「それじゃ、僕は、こっちの地下鉄に乗るからね!大丈夫だよ、菊池さんなら上手にやれるから、じゃ、また連絡入れるよ!」Yさんと手をふり合い私は、別の改札口に向かいました。

後日談です。その1、2分後に事件がおきたのです。Yさんが、私と別の階段を降りて行くと途中で、お年寄りがふらっとしたらしくYさんにぶつかってきたそうです。そして、それを避けて、ころんだ拍子にYさんの足がポキリと折れてしまいました。今は、松葉杖です。70歳になるYさんには、さぞ、辛いと思います。後悔しています。もし、あのとき、Aさんにあんな小さな嘘をつかずに、素直に『麻里』にでも行こうかと、私がいっていたら、松葉杖をついたYさんの痛ましい姿を見ずにすんだものを、と。